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「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」


昨日公言した通り


買ってきました。夕飯までの時間で読めてしまうくらいの分量の本です。
淡々としていながらも示唆的な内容で、読者に色々と考えさせるようになっている点は素晴らしいと思います。話題になっているというのも頷ける良著でした。

「弾丸」が欲しい


「弾丸」というのは「撃ち込んだ」相手に対する攻撃の手段であり、何らかの影響力を及ぼそうとする意思であると。
「撃ちぬけない」というのは、撃ち込んだはいいが相手に影響力を行使し得ないことを示しているわけです。
題では「砂糖菓子」のそれについて言及されていますが、「実弾」については明示的に触れられてはいません。
この辺りが恐らく作者の意図で、「社会」に対して実際に影響力を行使できる「実弾」を以ってしても、或いはそれは敵わない可能性、勿論敵う可能性もあるのだけれども、それは全体から見れば極めてささやかな「抵抗」の範囲内でしかない。
そういった状況下で生きる「意味」。それでも貴方は生きたいですか、と。

「異常者」のルーツ、虐待の連鎖、繰り返される悲劇


藻屑の父親にしても、彼を「異常者」と切り捨ててしまうことは極めて簡単で、彼から藻屑を「救い出せ」ば命は救われたかもしれない、とは誰もが考える「可能性」だと思うのですが、前回のエントリでも指摘したように、彼が娘を虐待するに至った経緯に注目すれば、きっと彼自身の責任に帰結できないような出来事があったはずなんですね。

犯罪者に被害者が同情してしまう「ストックホルム症候群」とは、作中で示されていた精神医学での用語なのですが、表面的にはこれは藻屑とその父親の間に成立しているわけです。
しかし、全く異なるようで似ている現象が、彼と私自身の間に成立しているような気がしてならないんです。
つまり、「彼の心が壊れてしまう過程」を考えに入れた上での「私」には、最早彼を「犯罪者」「悪人」と決め付け切り捨てることは出来ないんです。

「引きこもり」の文彦の存在


「電波男」の本田氏も指摘していた「虐待の連鎖」。それが実際に起こり、最後には子供が死んでしまうという悲劇が描かれた本作は、題材こそありふれているかもしれませんが、しかし主人公・なぎさの兄・文彦の存在によって特に際立っているのではないでしょうか。
藻屑の死によって結果的に「連鎖」が断たれるというのは皮肉としか言いようがありません。しかしこの事件によって兄の引きこもりは解消し、外に出るようになりました。

引きこもり生活を約3年続け「神」視点でなぎさに語る文彦の姿には、多くの読者が羨望の念を抱いたに違いありません。
古くから存在する隠遁生活、隠居というのも言ってみれば「引きこもり」です。世俗の世界にうんざりして自らの世界に引きこもり、そこで独自の価値体系を構築する。
これは一般的には理想像として受け入れられているのですが、本作ではそれは最終的に破壊されます。
これに関しては様々な見解が存在しうるのですが、そうせざるを得なくなった最も現実的な原因は、当然経済的理由であり肉体的、物理的な理由です。

しかし「引きこもり」はそれだけでは動きません。
文彦がこの「世界」についてどういった見解を持っていたのかと言う点については、作中で明示されているわけではないので各自が想像するより他にないのですが、比較的容易に想像できる理由として以下のようなものがあります。
即ち「文彦の、現実の世界に対する自らの体験を伴わない失望が、外に出て『他者』と会話することによって破壊され、或いは変質させられて、現実の世界に対する見方が変わった」から、というものです。
しかしここには二点、疑問が存在します。

一つ目は「文彦はたかが『他者』との会話で脆くも崩れ去る程度の『失望』で閉じこもる程度の人間だったのか」というものです。
まぁ周囲の「甘やかし」もあったのでしょうが、私はその「失望」も彼にとっては真実だったと思うので、「生き残る」ための一種の横柄さを持たない段階での「失望」は彼が引きこもるに至るに十分な理由だったと思います。
これをある人は「子供さ」と形容するのですが、悔しいけれどもそれは事実です。
ただ、やはり精神の高潔さ、潔さ、クリーンさ(つまり、綺麗な心を持ち続ける)ということは残念ながら「生存」のための横柄さや弱肉強食の論理とは完全に相反しているので、「生きるため」に必要だから、と言われてもそれをそのまま受け入れることに抵抗があるのは事実です。
# そして、最後まで受け入れられなかった人は「年間3万人余り」の一人としてカウントされるのです。

二つ目は「見方が変わった、或いは3年間の自分を裏付けていたものが破壊されれば、それは即ちアイデンティティの崩壊であり、引きこもり脱却は愚か寧ろ余計に失望する結果になるのではないか」という点です。
否定されることに対する悔しさと言いますか、完全に3年間の自分を否定してしまった場合、自らの存在基盤が崩れるわけですから如何にこの先が明るいものに見えたとしてもそれだけを信じて突き進む、なんてことは出来ないでしょう。
これに関して、私は「破壊」ではなく「変質」だった、という説明を与えることで解決出来ると思います。
即ち、「失望」が完全に「破壊」されたわけではなく、大局的に見れば(つまり社会全体を見れば)まだ「失望」していたのだが、自分の周囲の小さな世界を注視した結果、何とか生きていけるだけの活路を見出した(そんなに捨てたもんじゃないと思い直した、ということ)という「変質」だったということです。

文彦に見る三種の人間


と、ここまで考察したところで私には「三種の人間」という構造が浮かび上がってきました。

第一種


第一種の人間は「余計なことを考えない」人間です。
何か自分がすべきことを深く考えずに受け入れている。集団幻想、或いは「世の中」という巨大な価値体系に対してさほど疑問を抱かず、「当たり前」に暮らす人間。
これが世の中の大半を占めており、多数であるが故に「正常」な状態だと思われている、人間のあり方の一つです。
犯罪に怒り、政府に抗議し、または得意分野でその才能を遺憾なく発揮して成功を収めていたりする人間。
これは非常に「楽」で、そのバランスを崩さない限りはそれなりに「幸せ」に生きることが出来るでしょう。

第二種


第二種の人間は、第一種の人間が何の疑いもなく信じていた「集団幻想」や「価値体系」に疑問を抱き、或いは何らかの原因で「社会」に対する疑念を持ち、そういった思考が発展して「鬱」になってしまった人間です。
これの典型的な状態が「引きこもり」であり、「真性のオタク」として呼ばれる人々は皆、この状態にあります。
軽度のものは何とか経済活動をして糧を得ていますが、重度になると文字通り「引きこもって」しまいます。
軽度のうちに何らかの対策を講じないと、第三種の人間になってしまうので緊急を要する状態なのですが、一方で非常にデリケートかつ第一種の人間には理解できないような「悩み」を持っているので慎重を期す必要があります。
文彦はこの後期の状態にあるのでしょう。

第三種


第二種の人間が辿る道は三つあります。
一つに文彦のように外的ショックを受けて立ち直る場合。これが結果的には「理想」です。
一つに自殺。立ち直れなかった場合の一つのルートです。
最後に発狂。藻屑や父はこの状態。自らが見えなくなって周囲に危害を及ぼすようになったり、犯罪を犯したりする。または全く別の「世界」に入り込んで出られなくなってしまう。
三番目の後者の状態は、耐え難いストレスを受け流すための自衛作用によるものかもしれません。
前者の道を辿ると人は、鬱積したルサンチマンによって都井睦雄や藻屑父のような状態になってしまいます。

誰もが子供を虐待する可能性


そしてここで「電波男」に繋がってきてしまいました。
# 私がいかに影響を受けたか、ということですね。
第一種から第二種へ移行するきっかけは、ある人にとっては「恋愛資本主義」的競争に於ける「敗北」かもしれません。
またある人にとっては虐待かもしれません。

但し重要なのは、原因ではなく結果です。
その原因というのがどんなに些細なことと思われるようなことであっても、それは彼らにとっての真実なのですから。彼らを見つめる我々は、それを無条件で受け入れなくてはなりません。
「強さ」を期待することは出来ないのです。

そしてまた注目すべきなのは、これらが全て連続しているという事実です。
つまり、いつ人は藻屑父のように子供を虐待するようになるか分からないし、青木が原で首を吊るかもしれないし、I can flyするかもしれないのです。
きっと、一歩踏み外したらまっさかさまに行き着くところまで行くに違いありません。
これこそが「怖さ」の正体であり、「不安」の根源なのではないでしょうか。

そこにあるべき理想


ですから我々は、堀江社長や小嶋社長を「悪人」と呼び捨ててはならないのであり、宮崎勤の死刑判決に安堵してはならないのであり、そして「砂糖菓子の弾丸」を発射する彼や彼女を排斥してはならないんです。
自分も、少しだけ境遇が違っていれば彼らのようになったのかもしれないのですから。
これこそが現在にあって忘れられた姿勢そのもので、これがない限り人類には第三次、第四次世界大戦を経験して自滅するより他の運命なんて存在しないのです。

他者への姿勢もそうですが、自らの理性に対して嘘をつく行為も同様です。
嘘がつけなくて「生きる力」を喪ってしまった人が社会から排除されるようでは、この世界は悪くなることはあっても良くなることは決してありません。
しかしそれは「弱者」を「救済」せよと言うことではなく、「競争」に敗れた人を「勝者」は自発的にその仲間に入れるべきだということです。

ずるがしこく、他者を蹴落として生き残った勝者が、理性を突き通して敗北した者に勝っていることがあるのでしょうか。
「それがルールだから?」確かにそうかもしれません。けど、それじゃ動物と何も変わらないでしょう。

理性に嘘をつくな。いくら不利でも正しいことを貫き通せ。
現状では誠実な人は概して不利益を蒙ります。正しいことを貫くには勇気が要ります。それでも貫いていける「強さ」を持つ人を私は尊敬しますが、全員が全員「強い」人ばかりではありません。
ですから、正しい人、まじめな人、誠実な人がその信念を当たり前のように通すことが出来て、それが周囲から尊敬される。そんな世の中にしていかなくてはならないのです。


人類皆が手を取り合う。みんなが笑っている。そんな日を、私はこの目で見ることが出来るのでしょうか。


話がそれたので


本題だった「砂糖菓子」の感想を簡単に書いておきたいと思います。

なぎさの場合


どうも私にはなぎさの家庭、状況がそれほど深刻なもののようには思えませんでした。
なぎさは結局第一種の人間で「敗北」したわけではありませんし、「実弾」を求めている時点でまだ現世に対する執着があり、「生きたい」と思っているからです。
ですから私は専ら藻屑、それに文彦に注目したのですが、ここで敢えてなぎさについてコメントするならば、現時点ではまだ「どこにでもいる」「普通」の中学生の範疇に収まっていますし、作中の一月の期間を経て第二種・第三種の人間に触れ、存在を認知して考察するチャンスを得たという点で、この一月は彼女にとってはいい「糧」になったと思います。
まぁ「普通」が最も危ないって認識もありますが、彼女の場合は大丈夫だと楽観しています。
二つもバラバラ死体を見たってのはトラウマになると思いますが、もしかしたらここであの担任のように正義感を持って教師の道を歩む、ってことになるかもしれません。

担任教諭の場合


彼は弟が引きこもりで、彼なりに色々と苦心した結果、引きこもり解消には「他人」が必要だという結論に達しています。これが全てだとは私は思いませんが、実際に「他人」によって文彦は引きこもりから脱却できましたので、まぁ手段の一つとしてあってもいいかなと。
弟の件で自信や義務感を持ち、藻屑を救おうとしたが間に合わなかった。これは痛い経験ですが、なぎさが高校に進学したという(彼にとって)いい結果も残せたので、私はそれほど心配していません。
苦い経験として彼の今後の指導に活かしていくのではないでしょうか。

本書の結論


うーん。
「実弾」で戦いながら生きていかなくてはならないって結論が出ているようにも思えるんですけど、これって「それを言っちゃおしまい」なんじゃないかなと。
いろいろと回り道をした挙句、結局は当たり前のところに戻ってくると。
確かに正しいんですけど、この「現実の直視」ってのはどんな状態の人間にも一様に適用できる性質のものじゃないんで(そもそも現実世界に価値を感じていない人には難しい)、「当たり前」ではあるけれども、安易に適用できない点には留意しなくてはいけません。

後は「砂糖菓子の弾丸」に注意せよってところでしょうか。
些細なシグナルにも注意しないと、助け出すきっかけを失うことになってしまいます。
んー、例え「ストックホルム症候群」になって加害者側をかばうような発言をしたとしても、生命の危機が迫っているなら強引に踏み込まなくてはならないこともあるんですよね。
今回は踏み込む覚悟がなくて死なせてしまったって側面もあるので、児童虐待の監視のあり方という視点からも学ぶことはあると思います。
ただ、彼も「名誉毀損で訴える」みたいな脅しをかけてきましたし、そうなってくると大人と言えども容易に手出しできない状況になってきたりするので、この種の人間は一番厄介なタイプということになります。
誰が見ても「ヤバイ人」ならまだましで、社会生活する能力が残っていたり、しかもその上で金や権力を持っていたりするとまずいんですよね。分かりませんから。分かっても手出しできなくなるし。

それだけじゃないのかなぁ。この本。

「家庭」崩壊の恐怖


藻屑父なんかは高校時代からエキセントリックだったってことなんで、問題の芽は少なくとも彼の高校時代かそれ以前にあるということになるのでしょうか。
となるとやはり少年時代の家庭環境にその残虐性、猟奇性が発現するに至った原因が隠されているわけです。

そして同じところに行き着くんじゃないかな。
「家庭」が如何に大切か、と。
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桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』について | 酒井徹の日々改善 | 2012/03/02 11:07 AM
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