Naknet blog

Nothing to believe, nothing else to believe.

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もうpart3か

paths in their belief

また書いてしまいました。
こんなことしてる暇あるのかな……(いや、ないはずなんだけど)。

たまにはまともに紹介しますか。
えーっと、退院した年の晩秋の出来事です。
part2を一部踏まえています。

  • 時期的に無理がある。
  • (特に裕一の)性格が変わりすぎ。(無駄に饒舌だ、とか。)
  • 日本語でおk
  • など、色々と目に付く点はあると思いますが、不憫と思いご容赦ください。ご指摘頂ければ幸いです。

High place, in the wind.

誤魔化さないと生きてはいけないけど、そういう風には生きたくはないって気持ちもあるんですよね。
生きるというのには二つの意味があって、一つには生物学的に生きているということと、もう一つは人間として生きているということです。

前者のような生き方なら誰だって出来るでしょう。しかし、人間に生まれたからには、後者のように生きていたいと思います。
しかしそれは叶わない。
全てを受け入れていては破綻してしまうからです。

そんな中でも唯一残された可能性が、今回書いたようなやり方ではないのかと思っています。

成程。ご指摘のように「現実」はそうはなってはいないでしょう。
それは、みんな「生きて」いるからです。
つぶれてしまった人間は見えない。つぶれなかった人間は卑怯者だ。
だけど、それ――「卑怯」であること――こそ、彼または彼女が「人間」であることの証。だからその人は悪くない。彼らも赦されるべき存在。

しかし、そこに未来はあるのでしょうか?
――まだ赦せてすらいないのに。

ひょうひょうとしている人間でもなく、「強さ」を身につけてきた人間でもなく、世界の片隅で一人、真っ白な世界を望んでいる人間同士でなら、きっと、「人間以上の何か」に近づけるのではないでしょうか。



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