Naknet blog

Nothing to believe, nothing else to believe.

「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」


昨日公言した通り


買ってきました。夕飯までの時間で読めてしまうくらいの分量の本です。
淡々としていながらも示唆的な内容で、読者に色々と考えさせるようになっている点は素晴らしいと思います。話題になっているというのも頷ける良著でした。

「弾丸」が欲しい


「弾丸」というのは「撃ち込んだ」相手に対する攻撃の手段であり、何らかの影響力を及ぼそうとする意思であると。
「撃ちぬけない」というのは、撃ち込んだはいいが相手に影響力を行使し得ないことを示しているわけです。
題では「砂糖菓子」のそれについて言及されていますが、「実弾」については明示的に触れられてはいません。
この辺りが恐らく作者の意図で、「社会」に対して実際に影響力を行使できる「実弾」を以ってしても、或いはそれは敵わない可能性、勿論敵う可能性もあるのだけれども、それは全体から見れば極めてささやかな「抵抗」の範囲内でしかない。
そういった状況下で生きる「意味」。それでも貴方は生きたいですか、と。

「異常者」のルーツ、虐待の連鎖、繰り返される悲劇


藻屑の父親にしても、彼を「異常者」と切り捨ててしまうことは極めて簡単で、彼から藻屑を「救い出せ」ば命は救われたかもしれない、とは誰もが考える「可能性」だと思うのですが、前回のエントリでも指摘したように、彼が娘を虐待するに至った経緯に注目すれば、きっと彼自身の責任に帰結できないような出来事があったはずなんですね。

犯罪者に被害者が同情してしまう「ストックホルム症候群」とは、作中で示されていた精神医学での用語なのですが、表面的にはこれは藻屑とその父親の間に成立しているわけです。
しかし、全く異なるようで似ている現象が、彼と私自身の間に成立しているような気がしてならないんです。
つまり、「彼の心が壊れてしまう過程」を考えに入れた上での「私」には、最早彼を「犯罪者」「悪人」と決め付け切り捨てることは出来ないんです。

「引きこもり」の文彦の存在


「電波男」の本田氏も指摘していた「虐待の連鎖」。それが実際に起こり、最後には子供が死んでしまうという悲劇が描かれた本作は、題材こそありふれているかもしれませんが、しかし主人公・なぎさの兄・文彦の存在によって特に際立っているのではないでしょうか。
藻屑の死によって結果的に「連鎖」が断たれるというのは皮肉としか言いようがありません。しかしこの事件によって兄の引きこもりは解消し、外に出るようになりました。

引きこもり生活を約3年続け「神」視点でなぎさに語る文彦の姿には、多くの読者が羨望の念を抱いたに違いありません。
古くから存在する隠遁生活、隠居というのも言ってみれば「引きこもり」です。世俗の世界にうんざりして自らの世界に引きこもり、そこで独自の価値体系を構築する。
これは一般的には理想像として受け入れられているのですが、本作ではそれは最終的に破壊されます。
これに関しては様々な見解が存在しうるのですが、そうせざるを得なくなった最も現実的な原因は、当然経済的理由であり肉体的、物理的な理由です。

しかし「引きこもり」はそれだけでは動きません。
文彦がこの「世界」についてどういった見解を持っていたのかと言う点については、作中で明示されているわけではないので各自が想像するより他にないのですが、比較的容易に想像できる理由として以下のようなものがあります。
即ち「文彦の、現実の世界に対する自らの体験を伴わない失望が、外に出て『他者』と会話することによって破壊され、或いは変質させられて、現実の世界に対する見方が変わった」から、というものです。
しかしここには二点、疑問が存在します。

一つ目は「文彦はたかが『他者』との会話で脆くも崩れ去る程度の『失望』で閉じこもる程度の人間だったのか」というものです。
まぁ周囲の「甘やかし」もあったのでしょうが、私はその「失望」も彼にとっては真実だったと思うので、「生き残る」ための一種の横柄さを持たない段階での「失望」は彼が引きこもるに至るに十分な理由だったと思います。
これをある人は「子供さ」と形容するのですが、悔しいけれどもそれは事実です。
ただ、やはり精神の高潔さ、潔さ、クリーンさ(つまり、綺麗な心を持ち続ける)ということは残念ながら「生存」のための横柄さや弱肉強食の論理とは完全に相反しているので、「生きるため」に必要だから、と言われてもそれをそのまま受け入れることに抵抗があるのは事実です。
# そして、最後まで受け入れられなかった人は「年間3万人余り」の一人としてカウントされるのです。

二つ目は「見方が変わった、或いは3年間の自分を裏付けていたものが破壊されれば、それは即ちアイデンティティの崩壊であり、引きこもり脱却は愚か寧ろ余計に失望する結果になるのではないか」という点です。
否定されることに対する悔しさと言いますか、完全に3年間の自分を否定してしまった場合、自らの存在基盤が崩れるわけですから如何にこの先が明るいものに見えたとしてもそれだけを信じて突き進む、なんてことは出来ないでしょう。
これに関して、私は「破壊」ではなく「変質」だった、という説明を与えることで解決出来ると思います。
即ち、「失望」が完全に「破壊」されたわけではなく、大局的に見れば(つまり社会全体を見れば)まだ「失望」していたのだが、自分の周囲の小さな世界を注視した結果、何とか生きていけるだけの活路を見出した(そんなに捨てたもんじゃないと思い直した、ということ)という「変質」だったということです。

文彦に見る三種の人間


と、ここまで考察したところで私には「三種の人間」という構造が浮かび上がってきました。

第一種


第一種の人間は「余計なことを考えない」人間です。
何か自分がすべきことを深く考えずに受け入れている。集団幻想、或いは「世の中」という巨大な価値体系に対してさほど疑問を抱かず、「当たり前」に暮らす人間。
これが世の中の大半を占めており、多数であるが故に「正常」な状態だと思われている、人間のあり方の一つです。
犯罪に怒り、政府に抗議し、または得意分野でその才能を遺憾なく発揮して成功を収めていたりする人間。
これは非常に「楽」で、そのバランスを崩さない限りはそれなりに「幸せ」に生きることが出来るでしょう。

第二種


第二種の人間は、第一種の人間が何の疑いもなく信じていた「集団幻想」や「価値体系」に疑問を抱き、或いは何らかの原因で「社会」に対する疑念を持ち、そういった思考が発展して「鬱」になってしまった人間です。
これの典型的な状態が「引きこもり」であり、「真性のオタク」として呼ばれる人々は皆、この状態にあります。
軽度のものは何とか経済活動をして糧を得ていますが、重度になると文字通り「引きこもって」しまいます。
軽度のうちに何らかの対策を講じないと、第三種の人間になってしまうので緊急を要する状態なのですが、一方で非常にデリケートかつ第一種の人間には理解できないような「悩み」を持っているので慎重を期す必要があります。
文彦はこの後期の状態にあるのでしょう。

第三種


第二種の人間が辿る道は三つあります。
一つに文彦のように外的ショックを受けて立ち直る場合。これが結果的には「理想」です。
一つに自殺。立ち直れなかった場合の一つのルートです。
最後に発狂。藻屑や父はこの状態。自らが見えなくなって周囲に危害を及ぼすようになったり、犯罪を犯したりする。または全く別の「世界」に入り込んで出られなくなってしまう。
三番目の後者の状態は、耐え難いストレスを受け流すための自衛作用によるものかもしれません。
前者の道を辿ると人は、鬱積したルサンチマンによって都井睦雄や藻屑父のような状態になってしまいます。

誰もが子供を虐待する可能性


そしてここで「電波男」に繋がってきてしまいました。
# 私がいかに影響を受けたか、ということですね。
第一種から第二種へ移行するきっかけは、ある人にとっては「恋愛資本主義」的競争に於ける「敗北」かもしれません。
またある人にとっては虐待かもしれません。

但し重要なのは、原因ではなく結果です。
その原因というのがどんなに些細なことと思われるようなことであっても、それは彼らにとっての真実なのですから。彼らを見つめる我々は、それを無条件で受け入れなくてはなりません。
「強さ」を期待することは出来ないのです。

そしてまた注目すべきなのは、これらが全て連続しているという事実です。
つまり、いつ人は藻屑父のように子供を虐待するようになるか分からないし、青木が原で首を吊るかもしれないし、I can flyするかもしれないのです。
きっと、一歩踏み外したらまっさかさまに行き着くところまで行くに違いありません。
これこそが「怖さ」の正体であり、「不安」の根源なのではないでしょうか。

そこにあるべき理想


ですから我々は、堀江社長や小嶋社長を「悪人」と呼び捨ててはならないのであり、宮崎勤の死刑判決に安堵してはならないのであり、そして「砂糖菓子の弾丸」を発射する彼や彼女を排斥してはならないんです。
自分も、少しだけ境遇が違っていれば彼らのようになったのかもしれないのですから。
これこそが現在にあって忘れられた姿勢そのもので、これがない限り人類には第三次、第四次世界大戦を経験して自滅するより他の運命なんて存在しないのです。

他者への姿勢もそうですが、自らの理性に対して嘘をつく行為も同様です。
嘘がつけなくて「生きる力」を喪ってしまった人が社会から排除されるようでは、この世界は悪くなることはあっても良くなることは決してありません。
しかしそれは「弱者」を「救済」せよと言うことではなく、「競争」に敗れた人を「勝者」は自発的にその仲間に入れるべきだということです。

ずるがしこく、他者を蹴落として生き残った勝者が、理性を突き通して敗北した者に勝っていることがあるのでしょうか。
「それがルールだから?」確かにそうかもしれません。けど、それじゃ動物と何も変わらないでしょう。

理性に嘘をつくな。いくら不利でも正しいことを貫き通せ。
現状では誠実な人は概して不利益を蒙ります。正しいことを貫くには勇気が要ります。それでも貫いていける「強さ」を持つ人を私は尊敬しますが、全員が全員「強い」人ばかりではありません。
ですから、正しい人、まじめな人、誠実な人がその信念を当たり前のように通すことが出来て、それが周囲から尊敬される。そんな世の中にしていかなくてはならないのです。


人類皆が手を取り合う。みんなが笑っている。そんな日を、私はこの目で見ることが出来るのでしょうか。
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tbテストを兼ねて

「感想よろ」ってお願いしたら書いて頂けたのでレスします。
※コメントでもレスしてますがTrackbackの仕様がいまいちわかんないので実験も兼ねて。

虐待


> 虐待というものを俺は「歪んだ愛情」だと思っていますが。
虐待には愛情をうまく表現できないことから来る「もどかしさ」みたいなものが含まれていると。成程。
「砂糖菓子」の場合は、遺体にそれぞれ載っていた「さようなら」という手紙ですか。
確かに、自らの損得勘定のみで虐待していたなら逮捕された時もあっさり認めはしませんよね。
以上から、「幼少の時に形成された残虐性」(闇の部分。普段はあまり出てこない)が「愛情が届かないことに対する憤り」(「馬鹿だ」と言っていました)と結びついたと分析してみましたが、こんな感じでしょうか。

引きこもり


文彦に関しては、表へ出たことのショックで精神が現実感を取り戻したと考えては如何でしょうか。
「力を持たなければならない」という意識より、彼の場合は母と妹に養ってもらっていたことに対する罪悪感みたいなものの方が大きかったんじゃないかと思いますね。
「戦ってやろう」という意思までは持っていなかったのではないかと。

ミネラルウォーター


ミネラルウォーターですが、都会では主に水道水の代替として飲料用途に買う場合が多いですね。
ここで水道水を「汚れた水(==社会)を塩素で殺菌して(==法で取り締まることで)いるもの」と見ると、これを避けて「クリーンな」水を「大量に」消費することは、現実世界からの極度の(防衛本能的な)逃避の象徴と考えられなくもないですね。


鉈は「力」というよりは制御しきれなくなった「無意識」(==ルサンチマン)の象徴と、私は考えました。

どうでしょ。
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「半分の月がのぼる空」


本屋で発見


この間、帰り際にたまたま本屋に寄ったのですが、その本屋(こっち系の品揃えがすごい)のラノベコーナーで、この「半分の月」がプッシュされていました。
自分はラノベ関係はあんまり読まないのですが、暇な時などに読む本があると色々重宝するので、新分野の開拓を兼ねて一巻を買ってみることにしました。

で、見事にはまってしまいました。
勿論絵がいいってのもあるんですけど、この作品の「真剣さ」に「たかがラノベ」と言い捨てられない重大さを感じたのです。

「王道」


設定とかストーリーを表現するなら「王道」だとか「ありがち」「陳腐」なんて言葉が当てはまると思います。
A型肝炎で入院した主人公・裕一が、ある時転院してきた不治の病に犯される少女・里香と出会い、触れ合い、……という話です。
これを以って誰かに勧める……なんてことは出来そうにない筋なのですが、しかしそんな「ありがち」な話の中で感じたのは、ありがちだろうと何であろうと、一つの題材を丁寧に扱い、完成させ、伝えることの重要さ、です。
何も奇抜な点などありません。
設定で奇をてらうような作品ではない、ありがちな話がしっかりと綴られた作品です。

世の新作は全て従来の作品の模倣であると言われる今日に於いて、全く新しい作品を作ることは非常に困難です。
しかし、そんな「模倣」を「真似」から独自の解釈を経て「作品」に昇華させる技術・意思。これさえあれば、どんな「陳腐」な題材でも人を動かす力を持つわけです。
この「半分の月がのぼる空」は、そんな作品だと思います。

「世界」の広さ


主人公・裕一は作中で、逃れられない死の影が付きまとう少女・里香と仲良くなるのですが、最初はまぁ「何とかなるんじゃないか」とか「甘い希望」を持っているわけです。
それに里香の主治医・夏目は怒り、患者であるはずの裕一に殴る蹴るの暴行を加えたりするのですが、そんな行動も彼自身の過去の体験に起因していたと。
真実を知った裕一は悩み、自暴自棄になったりしながら「成長」し、最後は里香と一生を共にすることを誓います。

そこに至る過程で、裕一は色々と知るわけですね。絶望も経験しますし、不治の病に冒された夫を持つ妻の姿を見たりもします。
そして、そういったものを受け容れ、立ち向かう強さが芽生えると。

大切な存在、護りたい日常、そして「大切」や「護りたい」という感情を自覚させられる現実。
これが彼の世界の、恐らく全てで、そしてその世界の中心には里香がいる。

それは狭い世界です。
二人きり、支えてくれる友達もいるけれど、本質的には二人きりの世界。そして相手はいつ自分の手の届かない世界に旅立つかも分からない。
そんな世界に生きることは非常にリスキーで、合理的に考えればよしたほうがいいんです。
だって、いつか別れは来ますから。別れはきっとものすごく辛いでしょうし、そんな別離の辛さに心を閉ざす人さえいます。
それでも、もしかしたら、だからこそ、裕一は里香と共に過ごそうと決めます。

たったひとつ


初めて会ってからたかだか四ヶ月しか経っていない少女に、自らの人生を捧げるのは、端からは「馬鹿」に見えるかもしれません。
きっとこれから大きな挫折を味わうに違いありません。

しかし、私はそんな彼、大切で失いたくない存在がそっと微笑みかけてくれる彼をうらやましいとさえ感じます。
私も色々と考えたのですが、結局一回りしてしまった、そんな感じがするのです。
どんな生き方がいいか、自分は何をすべきか。曖昧な未来と「ぼんやりとした不安」。
絶望的な「世界」。真っ暗闇の足元。いつ終わるとも知れないトンネルを歩いている……。

「死んだように生きるのは、死ぬより辛い」って言います。
こんな風に「生き」るのであれば、いっそ……。と考えたりもしました。

で、辿りついた結論ってのがあります。
それは「世界はマクロな視点で見れば絶望的で、何もなくて空っぽかもしれないけど、自分の周りの小さな、ミクロな世界でなら、人は生きていくことが出来る」というものです。

生きている人はみんなそうだと思います。
目の前のささやかな喜び、大切な人の微笑み。人間は、そんな、本当にちっぽけなもののために生きるのではないか。

結局、そばにいてくれればよかったんです。
他には何も要りません。
そばにいて、時々柔らかく笑ってくれれば、それだけよかった。

スタートはここで、ゴールもここなのかな、と。
甘い考えなのかもしれません。しかし、一周して来たことで、ただ単に人から言われるよりは強い確信を持つことが出来るようになりました。

だからこそ、裕一がうらやましいんですよ。
護りたい人がいて、手を伸ばせば触れることが出来る。抱きしめられる。それが彼にとってどんなに幸せで、かけがえのない財産であるかと言うことは、それが仮に本の中の出来事であったとしても痛いほど理解できるのです。
一般の場合よりは「終わり」が来るのが早いかもしれませんが、それでも目の前の人を護って生きていける。生きていこうと思える。この「意思」こそ、我々が「強さ」と呼ぶものなのではないでしょうか。

これらは世間知らずな私が築いた、脆くて拙い妄想なのかもしれません。
でも、それでもいいと思います。今の私にとっては真実ですから。

で、この「半分の月」というのは、私の考えを補強するという意味で非常に共感を覚えましたし、そうでなくても、やはり「圧倒的現実」の存在に苦しむ人の姿には色々と考えさせられるものがありました。
んー、まぁ、純粋なエンターテインメントとしても面白いと思うので(ツンデレだし)、生きる意味とか関係なしに、興味があれば是非手にとって欲しい一冊(シリーズ)です。

いや、ほんと、普通に面白いですよ。
1巻読んでktkrして、今日2-5巻を買ってきて一気に読んじゃいましたが、だらけませんし、筋が通ってますし、細かい設定とかも必要最小限に留めてて、伏線とかもきちんと回収してます。
文章も安定してますから読みやすいですしね。
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半月6巻キタコレ

半分の月がのぼる空〈6〉
半分の月がのぼる空〈6〉
メディアワークス

てかふん氏のblog


発売されてるってことを知ったので、早速本日購入しました。
何を隠そう蛇足ですが、日常萌えがくどくなるという最悪の展開にはならなかったのでおk。
好きな人はどうぞ。絵買いもありかもしれません。
「本編」としての1〜5巻との繋がりは薄いので、「5巻で終わった方が絶対いい!」とか「半月びみょ(だけど5巻までよんだ)」って人は買わなくてもいいと思います。

あ、あと何か短編集が一冊出るそうですね。

あとVNも出ているそうで。
ふむ。絵本ですか。
全ページカラーで1.5k……。
微妙なところですね。今あんまりmoneyがないもので。

……。

買うか(ぉ
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半月SS

なんか書きたかったんで


書いてみました
興味のある方はどうぞ。

あーほんとワンパターンだ。
でもまぁ、書きたいってことはどこかでこういうのを望んでたりするんですかねぇ。

半月の場合、あまり色々と展開しないほうがいいと思ったんで、所謂「イベント」系のお話ってのは何か違う気がしますね。
あったとしてもふつーーーですし。
ですので、敢えて本筋に近い部分を書いてみた(つもり)。
やっぱり二人の関係ってのは対等でなけりゃいけないと思うんで、いつかは里香も色々と打ち明けるのでしょう。

言葉を交わさなくても伝わるってのは確かに理想ではあるんですけど、やっぱり一回は確認しておかないとだめですよね。
隠し事をしないのは勿論、中々普段は言い出せないようなことも言ってみる、或いはいずれ経験するであろう「こと」の前提になるならこんな感じなのかなぁと。

どうでしょうか。

……っていうかツンデレですからね。後者もやっぱりないとあかんと思うのですよ(ぉ
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『半分の月がのぼる空 one day』

少し時間が経ってしまいましたが


 購入したんで簡単に感想を。

 えっと、「半月」シリーズの番外編の「ビジュアルノベル」ということですが、要するに絵本です。
 全56ページ、フルカラー。装丁はこっち側の本の中では最高級の部類(ハードカバー、つや消し印刷)。
 蒐集欲を満たすのには十分なクオリティ。まぁ、中身のボリュームには最初から期待してはいませんが、実際1500円ならこんなもんかなって感じです。

 話は裕一と里香が退院するところと、ちょっとお出かけするエピソードです。
 特に「半月」の「普通さ」みたいなところ(雰囲気etc)が好きな人にとっては結構ヒットすると思います。
 何度も繰り返して読むというよりは、棚に飾ってニヤニヤする目的にあってそうです:)
 とは言え、決してつまらないってわけではないです。

 ファンの人はどうぞ。そうじゃない人にとっては存在意義の理解に苦しむと思います。
 言うまでもないことですが、「半月」の絵柄が気に入ってる人は買うべきです。
# 6巻のピンナップとどっちがいいかってとちと判断に迷いますが、特別なことがないのが「半月」の本来の姿なので。

 最初は地元の本屋で買おうとしたのですが、あいにく品切れ。
 ちょっと秋葉(編注:最初「秋庭」って変換されましt)に行く用事があったので、メイト、とらと周ったのですが両方品切れ。
 最後にゲーマーズにいったら2冊だけ置いてありました。
 結構人気あるのかな?量が少ないだけかもしれませんが;

「半月」の魅力


 前提……というか、「半月」が特に恵まれてた要因の一つに「絵がいい」ってのがあると思うんですが、これは確かにあります。
 それ以外にも、勿論文庫なんで中身が良くないとだめなわけですが、「半月」ってのは何も特別なことなんてない、透明な作品ですね。
 設定の奇抜さとかテクストの面白さはありません。やってることも、過去の作品の何かと被っていそうなほどに「ありがち」です。
 こう言うとじゃあ何がいいのかということになりそうですが、自分は、逆にこの「普通」を丁寧に描こうとする姿勢、ありがちだけど普遍的なメッセージ性を内包した内容、あとはキャラの魅力、それに雰囲気。これが「半月」の魅力だと思っています。

「普通」であること


 どうも日本人ってのは「普通」「中流」「真ん中」って言葉に憧れているようです。
 なんとか食うには食っていけて、日々ささやかな幸せがあれば、別に上を目指さなくてもいい。こういった一種無欲な思いを自覚することって、自分も例に漏れず、結構あると思います。
 それが良いか悪いかは別ですが、これが「半月」のような作品が多くに受け入れられる下地になっているのではないでしょうか。
 それに、「普通」を描くのって結構難しいです。
「普通」であるが故に、「これを書いておけばOK」みたいな特徴がない。かといって、「普通」過ぎれば退屈になってしまう。
 どこか日常にありそうでなさそうな物語、現実的な非現実を描くことで、「半月」はこの問題点を克服しているわけです。

 これを読んでいる男性諸氏は、恐らく裕一のような出会いをしてみたいと感じているでしょう。
# 女性の人は知りません。
 でも実際にはこんな都合のいい出来事はそうそう起こらない。でも可能性が全く0とは言えない。
 この、SF(Sukoshi-Fushigi)という点は「ドラえもん」なんかにも通じるところがある、効果的な手法なのではないでしょうか。

メッセージ性


 生と死というのは、人間が生きている限り続く永遠のテーマです。
 作中、里香は不治の病にかかっており、手術の成功によって数年程度の猶予を得るものの、人より早く死んでしまうことが決定付けられています。
# これをどう捕らえるかということは、その人の死生観や人生観が分かって興味深いのですね。

 ここにはまず「かわいそう」って認識があると思います。大多数の人はまずこう考えるのではないでしょうか。
 安易に死が描かれると「お涙頂戴」などと批判されることもありますが、ただ、涙を流せる自分を確認して安心するという現象があるので人気はあります。
 人生が人より短いこと、またはいずれ訪れる別離。その「不幸」な境遇を憐れむわけですが、これだけだとやはり「浅い」ですね。

 少し話は変わりますが、自分の学校に、昔肺がんか何かで夭逝した人がいました。で、その人が死に際に「自分は親孝行出来たか」と言ったそうです。
 こういった例は決して少なくないんじゃないかと。人間、死が避けられない状況になると、自分のことなんてどうでもよくなるんじゃないか。死に際に「死にたくない」なんて叫ぶ人の姿はどうでしょうか。惨めですよね。
 要するに、人は死に際になって初めて、自らの利害を超越し、ただただ大切な人の幸せに思いを馳せることが出来るんじゃないかってことです。
 生きている以上、生活のため、生存のためには、少なからず自分自身の利益を考えないといけません。それが悪いこととは言いませんが、かといって、自分を捨て他人を想う生き方を「必要だから」「しょうがない」と諦めていいものなのかと。

 で、結局、生きているうちはその呪縛からは逃れられません。だけど、自分がもう生きられないことを受け容れれば、そんなことはない。純粋な愛と理性に裏打ちされた行動に人が涙するのは、勿論「可愛そう」とかそういう気持ちもあるのでしょうが、どこかにうらやましいって気持ちがあるからだと思うんです。

 以上を踏まえて「半月」を見てみると、まず第一巻で里香は「私、死ぬの」と言っています。
 自分の運命の前に無力感を覚え、自棄になってしまっていた里香は、裕一との交流を通じて「生きたい」と思うようになるんですが、……生き続けることは不可能です。

 ですが、短い時間だからこそ、そして終わりが見えているからこそ、毎日を精一杯生きようと想う。優しくなれる。

 また、最近「延命治療」の是非が論じられています。仮に長生きしたとして、最後は全身にチューブが張り巡らされて家族に重い負担をかけ、生きているのか死んでいるのか分からないような生き方をした挙句、苦しみながら死ぬのが果たしていいことなのか。

 里香は死にます。けれど、里香は心身ともに美しいまま死ぬんです。6巻時点で18歳。それから長くて10年ですから30歳前です。
 心は安らかに。体は美しく。与えられた時間を精一杯生きてささやかな幸せをかみ締めた後、残される大切な人のことだけを心配しながら死ぬ。

 で、つまり、それでも長生きしたいかっていうことです。里香みたいに美しく死ねるのならどんなにいいことか。
 そういう意味で、「半月」は究極の理想像を描いていると言えます。
 うらやましいんですね。

雰囲気


 透明で澄んだ世界は冷え冷えしているのですが、裕一と里香の周りだけは、何か暖かいものが包んでいるようです。
 今にも消えそうな火なのに、当たっていると暖かくて安心できる。限られている、永遠ではないからこそ、この幸せが大切に思える。こうしたギャップが両者をより際立たせているわけです。
 細い形の描写に描かれる里香の儚さ。しかし今この時を里香は生きている。
 「終わり」への緩慢な、だけど決して止めることの出来ない流れにそっと身を任す、と。
 こうした雰囲気も「半月」の魅力です。

キャラの魅力


 キャラの描き方も魅力的ですよね。これはまぁ個人的な趣味の問題だったりするのですが、それ以外にも、作中で登場人物皆が成長するっていう点も重要だと思います。

そんなわけで


 ……眠いのでこの辺で切り上げますが、最後に一つだけ。
 やっぱり理屈を抜きにして「半月」はいいです。ある作品をどう受け取るかはその人次第ですが、これが色々と考えるきっかけになってくれればいいと思います。
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半月7巻

短編集その1




ということで、「半月」の7巻です。
短編集ということで、本筋に関係なく気楽に読める内容になっております。
本筋は5巻で終わっているので、都合3冊が「おまけ」ないし「蛇足」になるわけです。これについて一部には抵抗を覚える人がいるかもしれません。が、ファンとしてなるべく多くを読んでみたいという心理があるので、個人的には(歓迎はしないけど)まあおkかなと。破綻してないしね。
# これでぐだぐだになっちゃってたら最悪ですよね。

「拾遺集」ではありませんが、あちこちに書いた短編がそれっきりになってしまい、雑誌のバックナンバーを取り寄せないとどうしようもないとか、しかもそれに変なプレミアがついたりするとか、そういうのを回避してくれたのは純粋にありがたいと思います。

内容についてですが、「another side」というよりは普通の「side story」になっています。
繰り返しますが、気楽に読んで楽しめればいいのではないかと。

収録されている短編は4本。

最初の「雨(前編) fandango」は、本筋でもしばしば用いられた、複数の主人公の話をinterleaveする手法で、夏目やら里香と裕一の学校生活やらを綴ります。
この辺りの話は結構読みたかったところなんで、相当ヒットしました。
きっと需要もかなり多いはずです。

次の「気持ちの置き場所 find my way home」は亜希子さんのエピソードです。
彼女の幼少時代の話を織り交ぜ、(ありがちな文句を使うと)彼女の意外な一面(!)が発見できます:-)

3番目の「君は猫缶を食えるかい? a cat never die」は、裕一以下司、保のエピソードをきっかけとして裕一の父との思い出を描きます。
いくらいい感情を抱いていないとはいっても、中々忘れ去るなんてことはできないものですね。

最後の「金色の思い出 water」は……、病院内でのエピソードを中心に「安楽死」の問題について取り扱います(?)。
実に「side story」的な展開&軽いので、余りその辺りは伝わってきませんでした。
やるなら徹底的にドタバタにするか、それとも始終しんみりさせちゃうかのどちらかがいいと思います。
中途半端ってのはよくないですね。それとも元々あまり意味はなかったのかもしれませんが……。

そして第8巻


えー、8月に出るそうです。つまり短編集その2ですね。
その1の冒頭のやつが「前編」になってたことからも分かると思うんですが、その後編と更に短編3つだそうです。
うーん。おまけが色々付くとは言ってますが、方向性はその1とそれほど変わらないでしょう。
これをどう受け取るかですが、まぁ私としては、脳内補完しきれなかった部分が補えるし絵も見られるしで大歓迎ですね

うん。ファンの人は買っとけば?みたいな。

文体?表現力?


で、久々に「ご本」を読んでて改めて思ったのは、ああ、「ライト」ノベルだなぁと。
軽いんですよねぇ……読みやすいんですが、もうちょっと考えさせられてもいいような気がします。
じゃあ本筋はどうなのかというと、敢えて言うなら思考に柔軟性がないと思います。

挫折とかの描き方は良かったと思うんですが、もうちょっと頭で悩んでもよかったのではないでしょうか。

人に何かを伝えるのって難しいですよね。
言いたいことを言いつつ、しかもそれを世界に内包させて作品として昇華させるのは至難の業だと思います。
作者の橋本氏曰く「書きたくてうずうずしてる」らしいですが、そういったバイタリティの面でもやっぱり物書きってのは偉大だなと。

問題は、理性と感情の混交をどう描くかです。
ちょっと挑戦してみようかな(ぇ
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もうpart3か

paths in their belief

また書いてしまいました。
こんなことしてる暇あるのかな……(いや、ないはずなんだけど)。

たまにはまともに紹介しますか。
えーっと、退院した年の晩秋の出来事です。
part2を一部踏まえています。

  • 時期的に無理がある。
  • (特に裕一の)性格が変わりすぎ。(無駄に饒舌だ、とか。)
  • 日本語でおk
  • など、色々と目に付く点はあると思いますが、不憫と思いご容赦ください。ご指摘頂ければ幸いです。

High place, in the wind.

誤魔化さないと生きてはいけないけど、そういう風には生きたくはないって気持ちもあるんですよね。
生きるというのには二つの意味があって、一つには生物学的に生きているということと、もう一つは人間として生きているということです。

前者のような生き方なら誰だって出来るでしょう。しかし、人間に生まれたからには、後者のように生きていたいと思います。
しかしそれは叶わない。
全てを受け入れていては破綻してしまうからです。

そんな中でも唯一残された可能性が、今回書いたようなやり方ではないのかと思っています。

成程。ご指摘のように「現実」はそうはなってはいないでしょう。
それは、みんな「生きて」いるからです。
つぶれてしまった人間は見えない。つぶれなかった人間は卑怯者だ。
だけど、それ――「卑怯」であること――こそ、彼または彼女が「人間」であることの証。だからその人は悪くない。彼らも赦されるべき存在。

しかし、そこに未来はあるのでしょうか?
――まだ赦せてすらいないのに。

ひょうひょうとしている人間でもなく、「強さ」を身につけてきた人間でもなく、世界の片隅で一人、真っ白な世界を望んでいる人間同士でなら、きっと、「人間以上の何か」に近づけるのではないでしょうか。

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バリエーションが増えてる、、、

$$

1乙

 -、 
(  ヽ     
 ヽ,_ \   
 /゙i、`゙""゙ヽ           -‐ '´ ̄ ̄`ヽ、 
/   `'i   ゙、       / /" `ヽ ヽ  \
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$$<

知人曰く、(既刊分全体で)鶴屋さんが最も目立ったのは例の喫茶店の部分だそうです。
ということは、もし仮に2期が来ても、オリジナルエピソードじゃない限り登場機会が……。

うわあぁああっぁああっぁああぁぁぁあああぁぁぁぁぁ……。

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予想した中で最悪の結果だ。

最悪ですね。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200608/gt2006080204.html

石田未来、初主演ドラマは恋する少女…DVDは刺激的少女!

ドラマ初主演を射止めた石田未来。最新DVDでは、こんな初々しいボディーも披露している

人気アイドル、石田未来(18)が10月スタートのテレビ東京系「半分の月がのぼる空」(曜日未定、深夜1・0)でドラマ初主演することが1日、分かった。

原作は8巻のトータルセールスが100万部のベストセラー小説。石田は病弱な少女役で、他人とうまくコミュニケーションがとれないわがままな性格が、入院中に出会った男性によって明るく前向きに変わっていくという、演技力の要求される役どころだ。

石田は「3年B組金八先生」「おいしいプロポーズ」などヒット連ドラに出演してきたが、初主演のみならず恋する役も初めて。「緊張していますが、すごく楽しみ。初めての恋愛ものなので、監督やまわりのみなさんにアドバイスを聞きながら頑張ります」と気合が入っていた。

最新DVD「未来グラフィティー」(フォーサイド・ドット・コム、3990円)では、1メートル54、B80W58H84のフレッシュボディーをビキニ姿で全開。キュートな笑顔も満載だ。今月20日午前11時半から、東京・秋葉原のヤマギワソフト館でトーク&握手会を行う。

企画した奴死ね。ふざけんな。
死んで詫びても許さん。

参考スレ:http://book3.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1151251412/757-n

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