Naknet blog

Nothing to believe, nothing else to believe.

アホがいる……

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0608/01/news038.html
↑こいつ何言ってるんだ、と思った(8/1)。

まぁ何て言うか、お好きなようにって感じですね。
ハイビジョン?ハァ?大方の人にはそんなの関係ありませんよ。
金が有り余ってる人間は好きにすればいいですが、そうでない人の方が多数って事を忘れてますね。

地上波のデジタル化だって「電波の効率的な利用」とか言ってますが、携帯電話みたいな小さいデバイスにはVHF帯域の電波を扱えるようなアンテナは入りません。八木を頭につけて歩くの?w
直接使わないで、VHFで代替可能な他のサービスを移してくるのかもしれませんが、それだっていくらかかるんだか。

それで後のメリットは高画質化ですか?ナニソレオイシイノみたいな。

TVは既に衰退の道を歩み始め、DVDなんかのパッケージメディアもネット配信に取って代わられつつあります。
そんで、頼みの綱のそのネット回線は「ただ乗り」だの何だのと何やら煙たい雰囲気になっています。
1920x1080、60iのMPEG2で25Mbpsくらいあればまぁ十分としましょう。
みんなが常時25Mbpsを食うようになったら、ISP各社は悲鳴を上げますよ。

そんな中でどうしてこうも楽観的にというか……。
映像そのものが廃れるとは思いませんが、問題が山積のところで「可能性」だけ語られてもねぇ。

次世代DVDどっちが普及するかとか無関係に両方フラグシップ機を買うような人に、そういう実際的な問題を語れってのが無理なのかもしれませんが。

てか、このおじさん、何が言いたいのか分からないんですよね。
「『フルハイビジョン』ディスプレイをみんな買おうね」と言ってるのか、それとも自分の環境を自慢したいのか。
或いは、「将来は壁がディスプレイになるんですよ。すごいですね。勿論僕は速攻で導入しますが、あんたらはどうせ買えないだろうm9(^Д^)プギャー!!」ですか?w

要は空気が読めてないってことです。

あ、分かった。クッタリなんだw
この辺とか。

NHKでは2025年に8K4Kのスーパーハイビジョン放送をやりたいとアナウンスしてますし、NHK技研では50インチで4K2Kの基礎研究が完成しています。これを応用すれば、26インチでフルHDという流れも見えてきます。

その頃にはTVなんて存在しないかもしれませんね。

麻倉氏: テレビとして普通の家庭で視聴するサイズは、65V型というのがひとつの限界だと思います。それから考えると、103インチはテレビではなく“壁”。壁掛けテレビというのが、これまでの目標でありましたが、これからは壁自体が映像を映し出すという時代に突入していくのです。例えば、高級億ションなどでは103インチを最初から壁に埋め込むというソリューションも考えられるのではないでしょうか。しかも、ブロードバンドで環境映像をサービスするおまけつきです。コンテンツとハードを一体にして売るのです。

普通の家庭では65Vが限界 -> もっと大きいのは「壁」 -> 高級億ションの「ソリューション」

で、〆がこれ。

フルハイビジョンの先には、このような豊穣な映像世界が広がっていることも知っておいてもらいたいですね。

…………(;^ω^)

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予想した中で最悪の結果だ。

最悪ですね。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200608/gt2006080204.html

石田未来、初主演ドラマは恋する少女…DVDは刺激的少女!

ドラマ初主演を射止めた石田未来。最新DVDでは、こんな初々しいボディーも披露している

人気アイドル、石田未来(18)が10月スタートのテレビ東京系「半分の月がのぼる空」(曜日未定、深夜1・0)でドラマ初主演することが1日、分かった。

原作は8巻のトータルセールスが100万部のベストセラー小説。石田は病弱な少女役で、他人とうまくコミュニケーションがとれないわがままな性格が、入院中に出会った男性によって明るく前向きに変わっていくという、演技力の要求される役どころだ。

石田は「3年B組金八先生」「おいしいプロポーズ」などヒット連ドラに出演してきたが、初主演のみならず恋する役も初めて。「緊張していますが、すごく楽しみ。初めての恋愛ものなので、監督やまわりのみなさんにアドバイスを聞きながら頑張ります」と気合が入っていた。

最新DVD「未来グラフィティー」(フォーサイド・ドット・コム、3990円)では、1メートル54、B80W58H84のフレッシュボディーをビキニ姿で全開。キュートな笑顔も満載だ。今月20日午前11時半から、東京・秋葉原のヤマギワソフト館でトーク&握手会を行う。

企画した奴死ね。ふざけんな。
死んで詫びても許さん。

参考スレ:http://book3.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1151251412/757-n

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半月実写化について

全くふざけた話です。この企画は直ちに取り下げられるべき。
理由としては、製作側や主演の人間に誠意がないからです。
何故そんなことが分かるのかといえば、それはこの第一報の形態を見れば一目瞭然です。

製作者の問題

本当に企画者やプロデューサーが「半分の月がのぼる空」という作品が好きで、多少の経済的目的はあるにせよ、彼らの中に純粋な作品を愛する気持ちがあるのなら、サンスポなんかにすっぱ抜かれる前にきちんとした形での製作発表を行うでしょう。それが他人の作品を使わせて頂く立場としての最低限の礼儀ってものです。
製作に責任を持つ会社や関係する人間に誠意というものがあるのであれば、体裁の整った記者会見や何かの場で製作発表を行うはずです。その場で「皆さん応援宜しくお願いします」という一言もあるのであれば、私だって応援してやろうかくらいの気持ちにはなりました。

それが何ですか?これは。
最低限の礼儀すらない姿勢のどこを誠意と見ればいいんでしょうか。誰か教えてください。

情報管理も甘すぎ。スクープされるということは、それでもいいやくらいにしか考えていないということに他なりません。

また、主演の石田という者がビジュアル的に里香に相応しいかどうかはとりあえず置いておくとして、記事に添えられているこの写真は一体何ですか?
キャプションが

ドラマ初主演を射止めた石田未来。最新DVDでは、こんな初々しいボディーも披露している

ですよ?
「職業に貴賎なし」とかそういうレベルじゃなくて、文字通り体を売っているような人間に、里香という一人の人間(not キャラクター)の魂が演じられるはずないでしょう。
実際にどうであるかは別で、問題にしているのはこのサンスポの記事の内容。こんなキャプション付きの写真と一緒になっていたら、誰だってそう思うはずです。

更にこの発言。

「緊張していますが、すごく楽しみ。初めての恋愛ものなので、監督やまわりのみなさんにアドバイスを聞きながら頑張ります」

へー。半月って「恋愛もの」だったんですか。

また、半月について文中では以下のように説明されています。

石田は病弱な少女役で、他人とうまくコミュニケーションがとれないわがままな性格が、入院中に出会った男性によって明るく前向きに変わっていくという、演技力の要求される役どころだ。

目も当てられない。半月ってこんな話だったんですか?
読んだ人には分かると思いますが、半月は「恋」とかそういう言葉の一つや二つで語れる作品ではないし、里香の移り変わりにしても「前向きに変わっていく」だけじゃないでしょう。
記事を書いたのはサンスポの記者で、その記者は製作元、又は石田本人に取材しているだろうということを考えると、そのどちらか一方、又は両方までもが半月をこのように説明しているということです。
説明するということは認識することだから、結局奴らは半月をその程度にしか考えていないということ。

大体裕一や夏目や山西や亜希子さんやその他の人々、それに伊勢という土地、自然・情景の描写、そういったものは一体どこに消えてしまったんですか?

どうせ原作も「今から読み始める」レベルに違いありません。製作側に誠意がないのは明らかでしょう。

原作者の問題

また、これを了承した橋本紡先生にしてもそうです。

自分が生み出した作品には、絵にしても小説にしても音楽にしても必ずそこに魂を込めるはずです。
魂の込められた作品だからこそ人を動かす力を持つ。半月もそのようにしてこの世に生を受け、また育てられたから広い支持を受けるようになりました。
そしてそのような作品は、作者にしてみれば我が子同然、いや、自分の分身でさえあるはず。

それがこのような薄汚い商業論理の元に踏みにじられ、穢され、吸い取られ、利用され、しゃぶり尽くされるということは、そのまま原作者である橋本先生の魂が蹂躙されたに等しい。
そんなことを平気でやってのける人「もどき」の手に自分の作品を委ねるということは、文字通り悪魔に魂を売り渡すようなものです。

知らなかったじゃ済まされない。後悔先に立たずですよ?

この件について、原作者の橋本先生は公式blogで、

原作を読んで、おもしろいと感じてもらえて、そして持ち込まれた企画であれば、僕は首を横に振りません。映像作品がいいものになるかどうかはわからないけれど、その熱意には必ず敬意を払います。

と言及されています。(http://nekodorobo.exblog.jp/3920620)

私はこれを読んで、ある種の諦めに似た感情を覚えると同時に切なくなってきてしまいました。
先生は本当に純粋です。
きっとこのような「事情」や「意図」も全て分かった上で、それでも尚信じようとされているのでしょう。
その気持ちは痛いほど分かります。

# 素直に喜ばれているとしたら、このような記事を書かれるでしょうか?

また先生自身にしたって経済的な問題がつきまとうでしょうし、メディアワークスとの付き合いもあるでしょうから中々断れない事情はあったはずです。
このように作者の地位が低すぎる現状は何とか打破しないといけないと思うのですが、現時点ではどうにも仕方のないことだと思います。

だから、私には先生の採られた判断を否定することは出来ません。せめてもう少し環境が許していれば、お断りするという選択肢も可能だったはずなのに、と悔いるばかりです。

でもね、確かに「儲ける」熱意はあると思いますよ。
だけどその「熱意」は必ずしも、作品に対する愛に裏打ちされているとは限らないんですよ。
40年も生きていてご存じでないはずはありません。何とかご自分を納得させようとされているその心中、お察しします。

自分の作品がドラマ化されるのってどんな気持ちなの、などと友達に聞かれたりするんですが、まあ原作は原作、映像化は映像化なので、すばらしい作品になることをただ期待するばかりです。

期待とは雖も、限りなく「願望」或いは「祈り」に近い思いでしょう。

ただやはり、どこかで抵抗の意思は示しておく必要があります。
それは先生自身のプライドの問題もあるでしょうが、それよりも自身が生み出した作品や人物に対する礼儀の問題でもあります。
原作者だからと言って彼らを好き放題にしていいはずはないと思います。個々の人格は最大限尊重されるべきでしょう。

# していいとかしてはいけないとかではなく、普通の感覚を持つ人間なら「できない」はずですが。

Protest Now!

だとしたら、最後の砦は我々視聴者です。
この企画に断固反対を唱え、例え無視され、強行されたとしても、最後まで抵抗の意思を示すことが半月ファンである我々の義務ではないでしょうか。

一度「金になる」と思われれば最後、どんな作品も骨の髄までしゃぶりつくされて捨てられる。
倫理もへったくれもない。
こんなんじゃ日本のコンテンツ産業に未来なんかありません。聞けば、ハルヒも実写化だそうですし。

里香や裕一や橋本先生の魂、半分の月がのぼる空という作品。それに日本の未来のためにも、今こそ明確な意思を示すべきです。
手始めに、関係各所にメールでも送ろうかと思っています。

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C2275の罠

C99を除く「C」言語では、ブロックの途中で変数を宣言することは許されていません。
ですが、MSVCでは(v8.0で確認)この間違いをC2275:「この型は演算子として使用できません」やC2143:「構文エラー : ';' が '型' の前にありません。」としてリポートします。

はい、具体的には、

void func( void )
{
	int x = 0, y = 0;
	printf( "x=%d, y=%d\n", x, y );
	int z;	/* C2143 */
}
って感じです。

intの部分が例えば

typedef struct _tagTest
{
	int m, n, o;
} Test;
のようなTestを宣言しようとして
Test z; となっていると、C2143の代わりにC2275を吐きます。

本当に分かりにくいです。もっとまともなメッセージを吐けと言いたいところですが、(C++ではなく)C専用に書かれたコンパイラには、実際謎な文に見えるのでしょう。

厳密に言えば // によるコメントもCではサポートしていませんが、プリプロセッサがC/C++で共通っぽいので // も通るようです。

なんというか、ぐだぐだだなと。

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時かけ見てきました。

テアトル新宿で見てきました。暑かった……。
スクリーンが小さく、センターのボリュームが少し大きすぎたのが難点でした。
また見ることがあれば、今度は大画面で、繊細なサウンドで楽しみたいものです。

以下、感想です。

パンフにもありましたが、繰り返すところを毎回少しずつ変えながら描く手法は、まさに時かけのためにあるものだと思います。随所で用いられていていい味を出していました。
真琴がタイムリープで遊ぶシーンなんかはその典型例で、思わず噴出してしまう愉快さがありました。

その後魔女おばさんに「注意しなさい」みたいなことを言われるわけですが、それから段々雲行きが怪しくなっていく演出、高瀬君はその象徴のような存在でしたが、その後の踏切事故へつながる流れが滑らかで、引き込まれてしまうようでした。

そしてクライマックス。復活した最後のリープをするシーンなんかはぐっと来るものがありました。
あのBGの歌がいいですね。「変わらないもの」という曲らしいです。

Juvenile、要するに少年少女の物語の大御所であるところの「時かけ」らしく、アニメ映画の本作でも学校生活や友人関係、そして恋愛の描写は秀逸で、広い空、休み時間の賑わい、準備室の奇妙な雰囲気など、ありふれているはずなのに懐かしい時間こそが本作の醍醐味だと思います。
このありふれているというのがポイントで、それならば自らも経験しているのだから物珍しいものでもないはずですし、取り立てて評価するほど面白みがあるわけでもないはずです。

それなのに懐かしかったり、羨ましかったり、輝いているように思えるのは何故なのでしょうか。
そういったものが大切に思えるのは、今は最早手が届かないからであり、喪ってしまったからに他なりません。
タイムリープでもう一度やり直せたらと願う人は少なくないはずです。

喪ってしまうことというのが、本作でも重要な意味を担っています。
一度は千昭の気持ちから逃げた真琴も、千昭が友梨と付き合い始めて初めて自らの気持ちに気付くわけです。
そして、後悔していることを「やりなおす」のがタイムリープそのものです。

そのタイムリープも最後には使い果たし、「待ってられない、未来がある」と、ある意思を持って歩いていく決断をしました。
本当にすがすがしい終わり方で、綺麗にまとまっていると思います。

結局タイムリープとは何だったのでしょうか。
後悔をしないようにする手段。誰もが望むものですが、真琴はこれによって命も救われましたし、未来を見てから行動することで様々なものを得ました。

思うに、時かけのメインはタイムリープでも未来人でも何でもなくて、ただ一人の少女を中心とする世界を楽しむということなんじゃないかなと。
痛烈なメッセージがあるわけではないが、それでもこれだけの支持を得るというのは、まず第一にエンターテインメントとして優れているからですが、何よりも、私たちの琴線を振るわせる空気が満ちているからなのでしょう。

個人主義の歪んだ進展で他人が信用できなくなるこの時代に、せめて自分は美しく生きたいと思っても中々容易には行かず、くたびれて心がぼろぼろになりそうな時、現実とはまた別の精神世界に避難するのは必要なことだと思います。
例えそれに発展性も将来性もなかったとしても、非難する権利は誰にもないはずです。

時かけはその精神世界を豊かにし、その優しさは必ずや見る人を包み込んでくれます。
このような作品が支持を集める背景には、やはりそうした現代社会の行き詰まりがあるのではないでしょうか。

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結婚することの意義

産経の「正論」より「少子化対策に事実婚の制度的認知も

眠いんで感想を少しだけ。

まず、親類縁者のしがらみなんかを気にしなくて良くなる、つまり好きでさえいればそれでいいってことで、妊娠出産だけでなくそれ以外諸々の敷居が低くなるのは歓迎すべきでしょうねぇ。本人たちの納得があればいいと。

でもそうすると、じゃあ「結婚」する意味って何なんだってことになりませんか?
まぁ制度的にある程度の差別化が図られているんでしょうが、もっとこう、文化的というか本質的な問題で。
こういう活動を通して文化が消える一方でまた産まれて行くんだ、と考えれば問題はないような気がします。
勿論それが気に食わない人もいるでしょうが、そういう人は正式に結婚すればいいですね。

じゃあ何の問題もないんじゃないかということになるのですが、うーん、どうもこう、引っかかるような気がするんですよね。
私自身がもし仮に、天変地異とか神様の気まぐれとかで万が一にも、誰かと相思相愛になり、んで家の事情とかで結婚できなかったとして、事実婚が認められるなら嬉しいことは嬉しいですよね。
しかしやはり違和感が。

この件について某A君と会話したところ、彼は覚悟とか責任の問題があるんじゃないかと言ってました。
成程。確かに結婚という段階を踏むことである種の覚悟が生まれますね。

しかし彼とは別のT君は、「結婚生活」「夫婦」といった形式による縛りから来る倦怠感や、愛情が最早消失した段階に発生する「義務」感は、元々「結婚」という段階に端を発しているのであり、それがなくなるならば、「熟年離婚」といった事態に象徴されるような根本的破綻が発生しづらくなり、結婚するよりは両者の関係が平均的には長続きするようになるのではないか、と言っていました。

そりゃそうですよね。そんな、好きでもない人と事実婚するような人間はいませんからね。
ただ逆に冷めてしまったら易々と別れられるとなると、これまた困りますよね。

A君はこの点を憂慮していたようですが、ここでT君の視点で考えてみれば、いつでも別れられるとなると逆に思い悩むこともなく気楽に考えられ、例えば少し別居――と言っても同棲してすらいない場合もあるのか――期間を挟むなどして、関係が復活する事だって考えられます。

うーん。基本的には賛成ですが、積極的に宣伝しようとも思わないですね。
ただ問題提起とか議論は必要だと思います。選択肢を広げることは悪いことだとは思わないんですが、伝統の崩壊とかを気にする人がやっぱりいるのかな。

少しと言いつつこんなに長くなってしまいました。

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物欲バトン

これっていくつ種類があるんでしょうか。専門的なのを含めれば無数にありそうですね。
ただ全く興味のないネタを振られても回答できませんし、そういう意味ではこれは回す人間の人を見る力を養うためにNのつく巨大な地下組織が秘密裏に開始した陰b(ry

まぁいいや。

Quartz氏から回ってきたのに回答しますか。

Q1. 千円以下で買えるであろう、欲しい物を3つ挙げて下さい

  • 箱ティッシュ。今切らしてるので。
  • あとは特にないですね。必要なものなら買ってる金額ですし。

Q2. 五千円以下で買えるであろう、欲しい物を3つ挙げて下さい

  • 『ゼロの使い魔』 DVD2巻以降。ていうか全巻揃える積りですが(死
  • 本棚。でも置く場所がない。

Q3. 一万円以下で買えるであろう、欲しい物を3つ挙げて下さい

  • 少し超えてもいいなら、SeagateのST3320620AS。Barracuda 7200.10シリーズで、発熱はそれなりにあるけど性能はかなりいいらしいです。コストパフォーマンスも○
  • CPU切り替え機。PCが4台とかあるので。リモートデスクトップでいいっちゃぁいいんですけど。
  • これも少しオーバーしますが、青春18きっぷ。旅がしたいです。

Q4. お金では買えないであろう、欲しい物を3つ挙げて下さい

  • 精神の安寧。
  • 文章力
  • (こういう質問ですよね?これって

Q5. 絶対に手に入らないと思うけど、欲しい物を3つ挙げて下さい

  • 周囲の理解。
  • 最後までやり遂げる意志。
  • 平和な世界(とか?

Q6. これは何個あっても欲しい!という物を挙げて下さい

  • ストレージ。具体的にはHD。

Q7. 他人は多分欲しがらないけど、自分は欲しい物を挙げて下さい

  • サーバールーム。それと中身のサーバーマシン。組むなら当然Woodcrest。

Q8. 衣類関連で欲しい物を挙げて下さい

  • なんか適当にズボンとTシャツ。いつの間にか昔着てたのが小さくなってたので。

Q9. PC関連で欲しい物を挙げて下さい

  • エンコマシン。WoodcrestのDualか、次点でConroeの、できればE6700くらいをメインに。

Q10. 書籍関連で欲しい物を挙げて下さい

  • げんしけんとNHKは揃えたいところ。
  • あとゼロ魔の原作も。
  • ここは参考書って書かないと怒られるところかな?

Q11. 毎日買ってしまう物を挙げて下さい

  • っ[引きこもり]

Q12. 買うよりも是非貰いたい!というような物を挙げて下さい

  • 神なプログラムのソース。てか買えないし。
  • 買えないものでいいならここにもとかが当てはまりますが、実際、プレゼントみたいな形式や物質にこだわる必要ってなくないですか?場合によりますが。

Q13. 一度手に入れたけど手放してしまった、また欲しいというような物を挙げて下さい

  • 無邪気さとか?

Q14. 逆に、要らない、捨てたいというような物を挙げて下さい

特になし。
捨てたいのに捨てられないものって意味なんでしょうが、結局そういうものってその人が少なからず大切に思ってるものですよね。

Q15. このバトンが回って来た人から、是非貰いたい物を挙げて下さい

  • 「普通さ」。俺キモすぎwwwwwうはwwwっうぇえw

Q16. 次に回す人と、その人から貰いたい物を挙げて下さい

  • 凸 -> 真面目さ。
  • 乱泥 -> (殆どゲームだが)好きな物事に一途になれるところ。
  • 折角なんで後輩にも回しておきますか。
  • ふにふに氏 -> ふにふに。

んじゃ、宜しく。

P.S.
Quartz氏へ
もしこの件でコメントしてくれてたなら、それをSPAMと間違えて消しちゃったかもしれません。

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Intrigued

例えば、どこかでシャツのボタンをなくしたとします。
色々探し回っても結局見つからず、そうこうしているうちにそのシャツもくたびれて、捨ててしまいました。
それでも頭にはどこかそのボタンのことが残っていて、ある時にふと思い出し、テーブルの下や家具の後ろなんかを覗いてしまうのです。

――どうせ見つかるはずなんかない。

そのボタンはとうの昔に諦めてしまっており、第一、見つけたところで取り付けるべきシャツはもうないのです。
それなのに無意識のうちに探してしまう。そして、またある時にそんな自分を発見します。

――諦めが悪い?そんなことはない。シャツのボタンの一つや二つ、また買えばいいだけのこと。
――自分はとっくに諦めたはずだ。第一、なくしたのも自分が悪いんだ。

それは理解している。納得も。悔しいなんてわけじゃ、勿論ない。

だけど。
理由もないのに、やはり探している自分がいる。

心というものも、そんなものなのかもしれません。
そのどこかが欠けていて、できかけの口内炎のようにふとした瞬間にずきりと痛む。
心の欠片。それはなくしてしまったものなのか、それとも最初からそこにはないのか。あるいは、それがあるべき場所にないこと自体が痛いのか。それは分かりません。
ただ一つ言えることは、日常のある瞬間に欠片を探している自分を見つけると、自分はどうにも哀しく、やるせない気持ちになるということです。

――環境が許さなかったんだ。あれも自分の選択?そうだ俺の責任だ。だけどあの時の俺にそんな判断力を期待するほうが間違っている。

悔しいわけじゃない。そういうものを当たり前に持っている人間が羨ましいなんて、そんな矮小な理由でもない。

――あれは仕方がなかったこと。第一、こういう道を歩いてきたから現在の自分がある。

理解も出来て、納得も出来ているはず。
それなのに、どうしようもなく哀しいのです。

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ネット言論

ここ(http://ised.glocom.jp/ )の「倫理研 第7回」ってところを少し読みました。
匿名であるが故の自由を担保しつつ、かつ炎上を防ぐにはどうすればいいかってことで、「共通ID制」というものについて議論されているみたいです。

議論の「質」を事前にランク付けするのは不可能ですが、「匿名でなければ言えない」ようなことってありますよね。
例えば現実世界での誹謗中傷。下手にやったら名誉毀損で訴えられたりもします。
そういうリスクがあるからこそ現実世界ではネット上で散見されるようなことが言いにくくなっているわけです。

多分あそこで話している人たちも、発言者が自身の発言について責任を負わなければいけないって点では一致していると思います。要するに、発言に対してある一定のリスクを負わせることによって、結果的に発言者が一定の責任を負うようにしようと。
後はこれをシステムとしてどうやって実装するかってことになると思うのですが、これって確かに(厳密な意味での)「自由」とは相容れないものですよね。ネットでは誰もが匿名で言いたいことを言えるからこそ、従来では不可能であった自由な議論が可能になったのですから。
また、職業とか肩書きみたいなのが影響しない、純粋に発言の中身だけで議論が出来るってのも大きいですね。従来ならば「30歳・独身・ニート」の発言になんて誰も耳を貸さなかったでしょうから。

但し、現在ではそれがどうも行き過ぎていると。

ただ、そういった「制限された」世界であっても有益な議論がなされてきたのは歴史的事実です。
ネット言論が従来からある言論環境に対して本質的に悪影響を与えていては、元も子もなくなってしまいます。
カウンター的な存在としてのネット言論の意義は既に薄れ始めています。そろそろ品質の高い議論をする環境が整ってもいいのかもしれません。

で、そのためにはどうするかってことなんですが、「言論」という段階ではなくて日常会話の延長としての発言の場ってのもこれはこれで有益ですから、日記blogと個人サイトのBBSとかそういったものと、「言論」のための空間を分けるのがいいんじゃないかと。
最低限の条件として、後者の風通しを良くすることが必要ですが。

現に「2chに書かれていたから云々」ってのは一般的には信頼できない部類の話ですよね。
この延長上で、かつ「権威」化されない程度の信頼性が保たれたコミュニティが一つか二つできれば、自然に住み分けが出来て来るんじゃないかと思います。

自由に好き勝手やりたいんだったら2chにいればいいし、そうじゃないって人は「信頼に足る」方で色々やればいいんだし。
違うんですかね?

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恋愛「格差」社会ww

ちっと思うところがあったんで

コメント。

 んーと、まず自分を「非モテ」だって思ってるということは、これを意識しているということです。
 もてるのかもてないのかは実際に異性に当たってみるまで分かりませんから、彼らにはそういう接触の機会があったということになります。
 自分こそ「非モテ」に違いないのですが、しかし彼の言うような過激な意見には同意しかねる部分があるわけです。
 なぜ分からないのか。それは経験していないからだ。なぜ経験していないのかというと、それはそもそも周りにいないからです。

 ゼロの方がマイナスよりいいのかは分かりませんが、正直言って「会って話したことあるだけましじゃん」と思う自分は異常なのでしょうか。
 「周りにいない」と言った場合、普通は「ほんの少ししかいない」か「(恋愛対象になりそうな人は)いない」かのどちらかを指すと思われます。後者は、例えば既婚だとかそういうことです。
 しかし自分の場合はもっと特殊で、完全にゼロなんですよw

 いえ、そりゃ電車に乗ればいますよ?街歩いててもいますし。だって人口の約半分は女性なんですから。
 でもそれをして「周囲にいる」とは言わないでしょう。
 遠隔地の中高一貫男子校で小学校時代の付き合いも断絶し、snegなフラグもない自分には、本気で異性の人と触れ合う機会がないんですよw差し詰め「鐘○音」w

 「共学でクラスにはいたけど完全に無視されてた」なんて悲惨な(笑えない)話も聞きますし、そういう状況とどっちがいいかと言われれば微妙なところはありますが、それでも事前情報ゼロの状態で、最初から完全に無視されるなんてことはまずあり得ないわけですから、少なくともスタート地点には立てたわけですよね。
 だけど自分はそれすらないんですよw勝負以前。棄権した覚えはないんですけどねw

 彼らは「自分たちは最下層だ」なーんて思っているかもしれませんが、定義次第ではそれ以下の人間もいるってことなんですよね。

Another Sight

 さて本題ですが、下を見て元気出せとかそんなのではなく、この状況を逆に捉えてみようという研究です。
 確かにスタート地点にすら立てていない我々「無モテ」ですが、スタートしたとしても、風の噂に聞く「恋愛資本主義」で*1ぼろくそに負けるのであれば、最初から相手にしないほうが懸命なのではなかったのか。
 また、こうした環境で理想像が肥大化した一方、現実の姿に打ちひしがれるということもなかった。そして、事前情報なしにぶつかっていって玉砕する前に様々なルートから「奴らは汚ぇ」という情報が入り、耐性が出来た。
 「理想は理想で現実はまた汚ぇ論理で動いている」ということを知った今となっては、現実世界に自分の理想をそのまま投影するなーんてことは、まさかしないでしょう。しそうになっても、やはりどこかに諦めが内在しているので、裏切られた時のショックも相当緩和されるはずです。
 現実の異性に対しては悪い印象しかないので、たまたままともな人間にめぐり合えたりしたら、もしかしたら「世界もまだ捨てたもんじゃないなぁ」なんて考えるかもしれません。
 第一、異性に対してはそんなにぎらぎらした欲望を持っているほうじゃないので、無理だったら無理だったで仕方ないと諦めることも出来そうです。

 あれこれ俺もしかして勝ち組じゃね?ktkrw……とかまぁそんな話じゃなくてですね、ナンパとかしまくってるDQNヤリチン男になるか、信じていたのを手痛く裏切られるか、信じたいけどやめといてセフセフかのどれかになってしまうのだとしたら、三番目は決して悪い選択じゃないですよねと。

続きを読む>>
  • *1 : この言葉は二義的だと思います。「競争原理」という意味の「資本主義」と、「資本」(==資産、財産、要するに金)に全判断基準を据える恋愛という意味です。
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