Naknet blog

Nothing to believe, nothing else to believe.

コミケの米澤嘉博氏が死去

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20061002k0000m060088000c.html
http://www.comiket.co.jp/info-c/C71/060930.html
53歳だったそうです。

コミケは同人誌即売会としては間違いなく世界一の規模です。
元来文芸用語であった「同人誌」という言葉の意味すら変化させてしまう、コミケの社会的影響力というものは、今や想像もつかないほど大きなものになりました。
一方で、コミケや同人誌の規模が拡大するにつれて版権、著作権、税金などの問題もクローズアップされてきました。
米澤氏はまさに「同人誌」の時代を作り、育てた中心的人物であり、彼の功績は今後も語り継がれることでしょう。

彼の後継人事は既に発表されているようです。
彼らがコミケとこれに付随する諸問題についてどのような方策を採るのかはまだ分かりませんが、しかし現在のコミケの路線をそのまま踏襲するだけでは、先はないでしょう。
権利者も同人誌に対する態度をいつまでも曖昧なままにしておくことは出来ません。
コミケのみならず、日本における「同人誌」文化の一つの分岐点に差し掛かった今がまさに正念場です。
米澤氏の遺志を受け継ぎ、具現化させることが、彼に対する最大の弔いになることでしょう。

お疲れ様でした。ゆっくりとお休みになってください。

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mixiなるものを覗いてみた

システムが軽いのはいいですが、表示上の問題でコミュニティが少し閉鎖的な印象を受けるのと、また、恐らく大半のコミュニティの参加者のうち、活発に活動している人はそんなに多くないような気がするのがいまいちですね。
コミュニティが単なるユーザーの「タグ付け」になってしまうのは好ましくないと思います。
まだほんの少しかじっただけですけどね。

あと、投稿者の詳細なプロフィールが分かるというのは良し悪しだとも思いました。
「Social」なんだからそういうもんだと言われればそれまでですが、必要以上の情報はその人に対して余計な先入観を抱かせる危険も孕んでいると思います。あとは何かものが言えない雰囲気になったりね。
自分には2chなどの匿名掲示板の方が性に合っているのかもしれません。


さて、本エントリのカテゴリを「Anime」にしたのには理由があって、そこでゼロ魔のアニメの「辛口」な感想を目にしたからなんですね。
mixi内でのものについてはmixiで反論するのが筋っちゃぁ筋かなぁとも思うんですが、自分チキンなんでこっちで。炎上上等。コメ欄削除で対応します:-)

具体的に言うと、「ヤマグチノボル」コミュニティの「ますべ」って人のそれです。
その感想自体にも、色々と「突っ込みどころ」(←この言葉は嫌いなんですが、敢えて使います。)があることはあるんですが、全体的にはまぁ要点を捉えているといったところですか。
目が覚めるよう……とまでは行きませんが、まぁ言われてみればそうかなといった印象です。


(以下ゴミ)

つまり、あれを「原作モノのアニメ化」という視点でしか捉えてないということです。
アニメというものは、商業戦略の一環として製作されることも多いですから、原作派の人が警戒感を抱くのは無理もありません。事実、ゼロ魔にもそういった面が見られました。
アニメ自体、全体的な質の低下が見られるわけですから、やれ「原作が汚される」などと非難する人がいるのは想像に難くありません。実際彼にとってはそれに近い出来だったんでしょう。

ここで「人それぞれ」なんて「相対主義」的思考を持ち出して批判を回避することは勿論可能ですが、敢えてこれに挑んでみましょう。

やはり映像メディアならではの表現力は、活字(と挿絵)によるそれとは一線を画しています。
細かい(そうでもないのか?)点を見れば色々と問題もあったでしょう。私自身も最後の方はちょっと「?」でした。
しかし、やはり原作には少なからず存在した表現上の問題や冗長な点をカット、或いは再解釈し、テンポ良く見せてくれたのは大きくはないでしょうか。
原作すら決して全肯定できるものでない以上、それを絶対的価値として他の表現形態(による作品)を批判するのは危ういと思います。
「どっちもどっち」論にするつもりはありません。アニメだけがぼろくそに言われていて不公平だと言うつもりもありません。

# 第一、私が見ていないだけで他のどこかで書いているかもしれませんから。

そもそも、アニメは作品の表現形態の一つであると同時に、未読の人に対してその作品の魅力を伝える(宣伝)手段でもあります。
ならば、アニメ化以降原作の売り上げが増えたという事実を勘案しても、あれは十分に「成功」と言えるのではないのでしょうか。事実、アニメを見てハマった人間がここにいることですし。

(ここまで)


ここまで考えて気づいたのは、原作から入った人にとってはアニメは「切りすぎ」で、アニメから入った人にとっては原作は「冗長」と考える傾向がありそうだということ。
そもそもが的を射たものだということもあるのですが、そういった立場の違いを考慮すれば尚更、あの意見は認めざるを得ないものになってきます。

事実は、認めなければなりません。

まぁなんつか、それでもああいった「批判」を快く思えないのは、あの意見の一つの方向性であり結論でもあること、つまりアニメに批判的であるということが、そもそも自分の意見と合わないからに違いありません。

# 和訳か何かの問題でそういうのがあったんで受け売り。

「正しい」文章が、必ずしも人を納得させる文章ではないという典型例でしょうか。

忘れるのが一番いいのかな。
でもさ、少しは、例えば音楽とか作画とかを、褒めてあげてもいいとは思いません?
とりあえずもう見ない読まないことにします。自分が楽しければいいじゃん!

ここを読んでいるあなたも、正しいと思ってやったことが他人の賛同を得られない場合、言い方に注意してみると幸せになれるかもしれませんよ……?

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全員総評論家現象

前回のエントリを書いた時点では掴みきれていなかったこの違和感の正体が判明しましたので、報告します。

「批評」というものはそもそもどういったものであるのか。
私はこれは、その物事の問題点を整理して提示することで、そのものの質を更に向上させるための手段ではないかと思っています。
飽くまで手段であって目的ではないと。
批判のためだけの批判。全く建設的な目的を含まない批判と誹謗中傷の間に、一体どのような違いがあるというのでしょうか。

これは昨今の民主党の迷走ぶりを見れば一目瞭然です。
従来から野党は与党を批判してあら捜しをすることだけに力を注いでいて、政治家の本来の職務である政策論争が全く行われていませんでした。
野党のこういった姿勢が批判されているのを、まさか知らない人はいないと思います。
そこで「対案路線」なるものを発表していた矢先に、あの偽メール出てきて飛びついてしまった……というのは周知の事実でしょう。

さて。こういった批判若しくは批評と言うものの本来の性質を頭に入れたとき、彼のそれに限らず、世に満ち満ちている、俗に「辛口」などと称される批評は、果たして本当に意味のあるものなのでしょうか。
「辛口」な批評を書きたいがために、冒頭でいきなり作品を貶す。あら捜しをする。...etc
そこには作品を評価したいという意思は、最早存在しません。
貶したいから貶す。批判したいから批判する。
今後の作品の質の向上などより、まず気に入らないものを扱き下ろす。
これが果たして健全な批評文化と言えるのでしょうか。

成程。確かに公に対して発表されている作品について「何を言おうが自由」に違いはありません。
ここではひとまず、こういった極めて貧しい「批評のための批評」を許容することとしましょう。
さて、絵画や小説ならば製作した人間が明らかであるため、作品に対する批評について誰が反論すべきかは明らかです。
公になっている作品についての全ての批評に反論することは不可能ですが、それでも作者にはその権利が保障されています。
しかし、今回のようなアニメ作品ではどうでしょうか。
ご存知のように、アニメ作品には極めて多くの人間が関わっており、例えば彼が指摘する構成上の問題点にしても、果たしてそれが監督個人の意思であったかどうかという疑問は払拭し得ません。
そこには制作会社の意向があったのかもしれません。
そういう中で作業をしなければならなかった彼らには、作品に対する批判に反論する権利は存在しません。
反論されないことを言いことに言いたい放題吐き捨てる。これが卑怯でなくて何だと言うのでしょうか。

ここで、それではアニメ作品に対する批評は不可能になってしまうのではないかという問題があります。
いくら公正な反論のための環境が整備されていないからと言って、何も言えないのはそれはそれで問題に違いありません。
要は、相手が何も言えないのならば、相応の配慮をすべきだと言うことです。
ここでの「配慮」というのは、出来るならば長所を探して付け加えてみるのがいいのですが、それが無理ならば、最低限貶したり罵倒するような発言は控えるという、あまりにも基本的なマナーの徹底です。

「辛口」――勿論この中には様々な種類があるでしょうが――の批評は、非常に危険です。一歩間違えれば貶すだけになってしまいかねない。だから、当然全ての批評はそうですが、「辛口」を自称する人間ならば尚更、自らの発言には一層慎重にならなければならない。
社会人なら当然、自分の一切の言動には相応の責任が伴うことを知っているはずです。
「辛口」批評を書いて自分で眺めるだけなら問題はありません。が、それを人目につく場所に公表するというのならば、自ずとここに社会的責任が発生します。
では、相手が言い返せないのをいいことに言いたいことを臆面もなく言う「辛口」の批評に対する社会的責任を、その人は全うできるのでしょうか。
貶すということは攻撃することですから、その人がまた別の形で何らかの「攻撃」をされても文句は言えません。これに文句を言うのは筋違いであり、盗人猛々しいにも程があります。
そういった点を踏まえても尚、「辛口」などと言って己の暗い欲求を解消しようと躍起になることに、何のためらいも起こらないのでしょうか。

問題点があるからといって、それは誹謗中傷を正当化するわけでは決してありません。発言には品位とマナーが伴うべきです。

前述のような批評そのものに対する問題以外にも、まだ問題はあります。それこそが今回のエントリのタイトルに書いたようなことです。
要するに周りが見えていないということ。これは先ほどの「配慮」の問題とも関連しますが、そういった「辛口」批評を、その作品を好きな人間が見たらどう思うのか。製作者が見たらどう感じるのか。
まるでそれが自分のためだけに作られ、与えられたような気分になり、そして「批評」なるものを垂れ流すことで、まるで自らが高みに上っているという勘違いをしているからこそ、こういった不遜な発言が出来るのではないでしょうか。
人間との関わり合いが希薄になり、それが他でもない、血の通った人間の手によって生み出されたものであるということを、どうも忘れているようです。
また、世界は常に自分中心に動いているとでも勘違いしているのか、それとも周囲には自分に対する賛同者しか置いていないのかは分かりませんが、その発言が客観的に見てどういう印象を与えるのかということを考えようとしません。

作品とその製作者に対する敬意、また、自らの言動を律すべき羞恥心。この二つが欠けずに、どうして「辛口」などと調子に乗ることが出来るのでしょうか。

最近、特にネット界隈には、こういった無分別な「批評家」が溢れています。
彼らを更に調子付かせることのないよう、貴方が作品を正当に評価できるよう、常に自らを律していって欲しいと思います。
私自身も含めてですがね。

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北の核問題について

たまにはまともな記事でも。

北が核実験をした(14日現在では確証は取れていませんが)のは周知のことだと思います。
んで中国も制裁が必要だと言っているとか何とかで、早ければ一両日中にも安保理決議案が採決されるというところです。

一体北は何を考えているんだと思う人も多いと思いますが、勿論これも勝算あってやったことだと私は思っています。
というのも、いくら国際社会を挑発しようとも、余程のことがない限り戦争にはならないからです。
共産中国は半東北部に親米政権が出来るのを嫌います。ロシアも同じ。
特に中国は共産党一党独裁体制を何とか維持しようと躍起になっており、政権が不安定になるような要素は極力排除したいはずです。隣国で戦争なんてもってのほかでしょう。

アメリカはアメリカでアフガンやらイラクやらで困難に直面し、また戦費もかさんでいます。これ以上別の地域で戦争を始めるのはきついというのが正直なところでしょう。
日本だって一応軍隊は持っていますが、実戦経験がない以上、完遂できるかは疑問です。第一世論が反対します。

第一、戦争になれば確実に崩壊する朝鮮労働党政権の後を、一体どうするかというのが不透明すぎます。
民主化だ何だとアメリカが言えば中国は有形無形の嫌がらせをするでしょうし、南には統一政府を運営するだけの覚悟と力量があるとは思えません。

そんなこんなで、各国ともなるべく現状を維持したがっているわけです。
将軍様だってあほじゃありませんから、この辺の事情は全部分かった上で、プラスになるかどうかは分からないがマイナスにだけは絶対にならない戦略だと解釈しているのでしょう。
制裁についてもある程度は織り込み済みに決まっています。前述のような理由で北が暴発するような事態を中国は回避しようとするでしょうから、適当に緊張を高めれば最低限の援助は継続すると踏んでいると。


今回の実験は失敗だったのではないかという観測が一部には流れているようです。
失敗成功に関わらず核実験なんてのは許されることではありませんから制裁は当然のことです。

が、実際のところ、例えば広島や長崎に投下されたような原爆を開発したとして、それだけでは脅威にはなり得ません。
これを実際に使用するには、まず大型の戦略爆撃機が必要です。その上でこれを日本上空まで飛ばし、投下する必要があります。
そんなものが日本と、場合によっては韓国のレーダー網にかからないはずはありません。領空侵犯になればスクランブルがかかります。停止命令を無視すれば撃墜しにかかるでしょう。
これに対抗するにはある程度の――といってもF-15を始めとする強力な戦力を持つ空自に対抗するためには相当の――空軍力が必要で、これは全く非現実的です。

ですから、核兵器を戦略的に運用するには、最低限核弾頭搭載の(弾道)ミサイル。それに出来れば原子力潜水艦に搭載するSLBMが必要です。
ミサイルの弾頭として搭載できる核を作るにはかなりの小型化が必要で、これは核実験に成功したからと言って一朝一夕で製造できるものではありません。
北の技術レベルがそこまで行っているかは疑問ですが、行っていたとして相互破壊保障を達成するだけの配備をする資金が今後捻出できるかどうかは更に疑問です。

なんで、現実問題として、少なくとも今後5年は北の核は直接的な脅威にはなり得ません。
地理的に近い日本に対してでさえそうなのですから、アメリカに対しては尚更です。ですから今回の実験は「だめもと」で、もしかして折れるかもしれないくらいの予測でやったのでしょう。

まぁ南に対してなら何とか脅しになるかもしれませんが、あの国には既に北のシンパが大量に入り込んでいて結局は援助するということが分かっているので、今更交渉も何もないでしょう。
北をここまで増長させたのは、偏に南の「太陽政策」のせいです*1

北も最低限体制の維持だけは確保したいでしょうから、恐怖を煽っても実際に戦争をおっぱじめる積りはない……と思います。スターリンや毛沢東の頃とはお話が違いますから、北が暴走して始まる戦争に軍事支援するなんてありえません。
……実は中国とは裏で全部折り合いがついていると考えても不思議ではありませんが、だからと言って、外資が経済を支えている中国が軍事的手段にGoサインは出さないでしょう。少なくとも表向きには。


日本の対抗核武装の可能性ですが、前述のように北に対しては核なんて必要ありませんから、仮想敵は中国それにロシアでしょう。
今後アメリカの力が相対的に低下し、また中国が共産党支配のまま現在の成長と軍拡を続ける可能性はかなり大きいです。
そういう事態になったときに、中華思想の大陸が核恫喝を始めないとも限りません。

そういうときのための核でしょうが、核(抑止)というのは総力戦を防ぐことは出来ても、限定戦争を防ぐことを出来ないのは20世紀が証明する通りなので、どれほどの効果があるかは正直疑問です。
戦術兵器としての核はアメリカも既に全廃しました。
要は「実際には使用できない」兵器なんだってことですが、アジア地域でのバランス・オブ・パワーが取れている状態ならば、中華が変なことをしたら国際社会が黙っていないでしょうからいいんです。が、現在のアメリカのように中国が超大国に発展して、誰も逆らえないような状態になると少しまずい。その時点では既にアメリカの核の傘には穴が開いてぼろぼろになっているはずです。
せめて大陸が民主化すればまだ楽観していられるんですが、かなりの確率で中共は今後も政権を握るでしょうから、やはりかなり不安だと。

実際に核戦争になることと核恫喝に屈するような事態は何としても避ける必要があります。
こっちとしても軍事費負担は少ないに越したことはないのであっちが軍縮してくれれば一番いいのですが、実態はその正逆を進んでいると。
第一第二列島線構想や原潜の領海侵犯の時点でとっくに明らかなことではあるのですが、あの国は人権や民主主義などのこちらの価値観が一切通用しない、一党独裁・言論統制・人権弾圧の超地域覇権国家です。
ならばこちらも冷徹に対処しなければならない。ということで核武装は十分検討の余地があるのですが、代償を考えると見合わないような気がするんですよね。
国内世論、国際世論、費用、軍拡競争の可能性...etcetc

向こうの民主化のための世論工作に打って出るくらいの狡猾さはあってもいいと思うんですが、それが出来ないんだったら、せめて可能性をつぶさないための措置は講じておくべきでしょう。
核武装なんてそんな一年二年で出来るもんじゃないんですから、例えば基礎研究だけはやっておくとか。いざとなった時になるべく短期間で武装できるようにね。
そうならないのがベストですが、生憎、あっちにはそういう意思はないようなので。仕方ないですね。

  • *1 : 小学校のときに何やら平和的な素晴らしい手段だ〜みたいに習った気がする。今思うと恐ろしい……。
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Suicide is the worst case of homicide.

http://www.j-cast.com/2006/10/19003447.html
もうアホかと。そんなこと言う奴がいるから自殺は減らないというのに。
記事タイトル「自殺は殺人の最悪のケース」という言葉をどこかで耳にしたことがあると思うが、この基本的な認識なくしては自殺者を減らすことなどまず不可能。

「社会に出たらもっともっと辛いんだぞ。結果出せなかったら人間としても扱ってもらえないんだぞ。何よりまず食って行かなくてはならないという現実があるんだぞ」

「しかし子供が弱くなったな、親も同様に 教師のあの程度の言動なんて誰もが言うよ んな事でいちいち死んでたら人類滅亡するよ」

こんなことを言っている人間は(勿論釣りだとは思うが)、一体今までに何人を自殺に追い込んできたことやら。
第一、ただ一つの原因でのみ人が死に追いやられることなどないのだから、これを責任問題に帰着させようとすることは、結局のところ単なる責任逃れでしかない。勿論両親にしてもそうだ。

そもそも、小学校の高学年から中学にかけての「友達」を作っていく、また自我が形成されていく時期には、一方で親しい人間同士で群れるようになる傍ら、誰しも、ある(共通の)「価値」に照らし合わせた時に、これに合致しない人間を仲間はずれにしたり、或いは「いじめ」たりするものだ。自分だってそうだった。
それ故に、この年代の子供たちに接する人間には特別の配慮が求められる。それを欠いているのならば、当然教師などやる資格はないし、責められるのは当然だ。
「いじめ」の素質を持たない(持たなかった)人間などいないのだから、まるで他人事のような「社会に出たら云々」なんて台詞は、危機感が全くないばかりか、自殺に追いやられた彼にはまさに凶器に見えることだろう。

物事を丁寧に扱おうとしない。多面的に見ない。強いもの、主流なものに同調して適当に「生きている」ような人間は、当然自らが「生きている」のではなく「生かされている」ことにも気づかないだろうし、ましてや自殺に追いやられた人間の心情などは考えようともしないだろう。
こういった、最早「人間」と呼ぶのも躊躇われるような存在こそ、まさに現代社会に巣食う諸悪の根源である。

ただ、また別の見方をすれば、そういった奴らにも理解できる面があるのは、一方で確かだ。
というのも、現実にこの世界で「生きている」のであれば、当然「逆境」に「耐える」術を自然と身に着けてきたのだろうし、過去に幸運にもいじめの対象になることがなかったのであれば、「未熟」な時期のsensitiveさを体感することもなかっただろう。
知らないのだから仕方がないといえばそれまでだが、とは言え、無知は勿論罪である。
これを後からカバーしようにも、そのために必要な「物事を丁寧に扱う」訓練を受けてこなかったために、自らと関係のないことについては何でも脊髄反射的な言動を取り、またほとぼりが冷めれば、綺麗さっぱり忘れてしまうのだろう。


自分は、いじめたこともあり、いじめられたこともあり、またいじめを傍観していたこともある。
友人を傷つけてしまったことは今でも後悔しているし、いじめられた時にかばってくれた、担任のY先生には今でも感謝している。そして、Y君がいじめられているのを傍観していたときに、「いじめられる方にも原因がある」などと考えていた自分の愚かさには辟易する。
「いじめられる方にも原因がある」などというのは、いじめに立ち会いながらも気づかない振り、知らない振り、関係のない振りをしていた人間の詭弁だ。
いじめは許されることではないが、周囲の適切な指導によって乗り越えることが出来れば、人生の糧にすることだって出来ると信じている。
だからこそ自分は、この事件を耳にしたとき、酷く心が痛んだのだ。

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今期CD

秋アニメも出揃ったところで、ここらで欲しいCDでもまとめておきましょうか。
どれもおすすめです。

# リンクにはアフィ入ってないんでどんどん踏んじゃってください(ぉ

「もどかしい世界の上で」/牧野由依 「NHKにようこそ!」後期ED

曲もいいんですが、久しぶりにいい感じの詞に出会えました。I've以外じゃ本当に久々です。。。
JVCのページで、音質こそ悪いですがFullVerがプロモムービーつきで聞けるようになっているんで、是非一度聞いてみてください。まじおすすめ。

「Chercher 〜シャルシェ〜」/KOTOKO 「マリ見て3rdOVA」ED

I'veは外せないだろうということで一つ。ここで試聴できます
C.G.Mixの曲はFatally辺りからどうも似たような感じのアレンジが続いてるんで、最近少し飽きてきたところではあったんですが、ここに来てそれが開花したかなぁと。
詞はまぁKOTOKOじゃないですし、普通かな。
B面は試聴verじゃ良くわかりませんでした。Fullで聞くとまた変わってくるんでしょうが……。

「Love Power」/Aice5 「おとボク」OP

ノリ重視ですかねぇ。何やら新ユニットのプロモって意味合いがあるそうですが。
ちょっと聞いた感じだといいですが、飽きが来ると忘れられるタイプですよね……。タイトルもなーんか微妙だし。
まぁしかし一応ね。自分は買わないと思いますが。

前奏曲(プレリュード) -We are not alone-」/大藤史(http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000HXE1KK/) 「夜明け前より瑠璃色な」OP

某S君に言わせると「OPらしくないOP」ということですが、確かにその通りです。
素直に作ってあるので、耳当りがいい曲になっています。「主題歌」というよりBGMの一部みたいな感じでしょうか。
地味にはまる人は多いと思います。

「Crescent Love 〜月のなみだ〜」/生天目仁美 同ED

EDもまぁ似たような感じです。
んーそうですね。フレーズにどことなく懐かしい感じがするんですが、どちらかと言えばOPをおすすめします。
こっちは生天目仁美のファンの人ならどうぞ。

「あさっての方向。サントラ」/光宗信吉

彼はガチだと思います。光宗信吉を聞いたことのない人は是非。
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世界史未履修問題

どうも原因は週五日制と総合にあるっぽいですが、本当にもうぐだぐだですね。
高校生活?ナニソレオイシイノ?そんなことより 受 験 勉 強 ってのがもうデフォだったってことですね。

未履修の皆様方。本当にご苦労様です。
センターまであと三ヶ月を切った中で、50分×70時間でしたっけ?いやぁ。

怒りとかそういうの通り越して、もう笑うしかないですね。
そろそろ、人間を選別する手段としての筆記試験の存在を考え直す時期に来てるのかもしれませんね。

# ↑そんなの当事者が言うことじゃないですが

理科や情報なんかでも未履修があったそうですが、第一報として伝えられたのが世界史ということで、さぞかし堤教諭は憤慨なさっていらっしゃることでしょう……なんて考えながらぼーっとしてたわけなんですが、もしかしてこれってチャンスなんですかね?
え。だって影響出ないはずないじゃん。絶対平均下がるよねとかなんとか。
本当に嫌な奴ですね。ハゲタカファンドなんて言葉が脳裏をよぎりましたとも。

散々言ってきた通り、ボクは「責任」って言葉や犯人探しがだいっきらいなんで、何々がどうこうだから今回のような事態に云々なんてことは言いませんが、折角の機会なんで教育システム全体を根本から見直しちゃうのはどうでしょうか。

なんていうんでしょうね。
やれ微分方程式がどうとかアセチルサリチル酸が痛み止めだとか、そういう「内容としての勉強」ってのはまず必要ですよね。
ただそういうのを学習することと、それを試験に使うことは全く別物でしょう。
よく聞くぼやきとして、試験にさえ出なければ嫌いにはならなかっただろうというのがありますが、もし試験があることでその人の学習意欲が減退し、更には将来の可能性が一つ消えることになるんだったら、それは注視すべき問題だと思います。
だからって試験をなくせってことではないですが、ある一定の授業レベルが一様に提供されるということを前提に、いっそのこと大学まで全入にしちゃえばどうでしょう。
そんで既定のよりいい進路に行きたかったら受験勉強しましょうねと。

そうそう。今は「入試」ですから入れるか入れないか。即ち「全くない」か「ある」かの選択ですが、これが「普通のものがある」か「より良いものがある」かの選択だったら画期的だとは思いません?

ただ、ボク(←きもいなこれ……)自身の経験に照らし合わせても、何の圧力もないとだらけるのは、やっぱり事実だと思います。
というか、出来れば楽したいと思うのが人情ですから、興味が持てる人ならともかく、試験がなくても勉強だりぃって人については、試験はおろか授業だって「負担」の一種でしょう。
なら試験があっても同じじゃんってことになりそうですね。

うーん。
授業時間が足りないっていう実際的な問題がなかったとしても、土曜は学校行った方がいいと思いますが、やっぱり休みは欲しいところです。
ここは「一週間」って単位を取っ払って、例えば二週間に三日休日とかにしたらどうでしょう。
まぁ社会が一週間を基準に動いてるんで、学校だけ別にするのは大変かもしれませんが。

最近は教育を厳しくする方向に話が進んでいるようですが、温故「知新」と昔から申しまして、以前は確かに現在より厳しかったでしょうが、それでもやっていけたのは決して今の人間が弱くなっているからじゃなくて、同時にかばってくれたり分かってくれる人が周囲にいたからだと思うんで、社会構造の変化を勘定に入れずに形だけ変えるのはやめて欲しいなぁと。

取り留めのない教育論もどきはここらで切り上げましょうか。
いじめの問題にしてもそうですが、「〜なはずだ」という思い込みや願望を排除して人間の姿を率直に捉えることが重要だと思います。

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NHK痛すぎるよ……

エロゲ製作、自殺未遂、ネトゲ、マルチ商法と、罠という罠に悉く引っかかっている佐藤君ですが、本当に痛いですねこれ。
これは本格的に名作の域じゃないでしょうか。いや原作が良いだけかも知れませんが。
ああでも作画がね。音はまぁ、ああでも後期EDは神ですが。
DVDで修正入るのかは分かりませんが、これは一度見てみると良いと思います。
現代社会の暗部というか病理といったものを痛烈に描き出していると思います。そういう言葉を使うと大げさに聞こえるかもしれませんが。
実際はそんなに大層なことはなくて、半分くらい面白がってやってるんだと思いますけどね。

是非NHKで再放送して欲しいものです。たぶん無理ですけどね。色々と

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