Naknet blog

Nothing to believe, nothing else to believe.

久間大臣ktkr

いやぁ俄然面白くなってきました。
久間防衛相の原爆「しょうがない」発言全文

正直「よく言った!」と思います。え、常識的に考えてソ連に占領されてたら、日本なんて今頃「経済大国」どころか思いっきり途上国だった可能性もあるわけでw
戦後日本がこれだけ発展してこれたのは、何を隠そうアメリカが日本を自由主義陣営の一員&戦略的拠点として位置づけてくれていたからであって、まぁ確かに原爆やら民間人==非戦闘員への大規模無差別空襲なんかはやりすぎではあったような気がしますが、しかし、日本が南北分割なんかされて御覧なさい。んで北は共産主義ですよ。んなことになったら、そりゃあんた、原爆がやっと比較になるかならないかくらいの悲劇ですって。
んでまぁ「原爆被害者」やら「某大新聞」やらがこの発言を非難するってことは、要は彼らは「日本はソ連に占領されればよかった」って考えてるというわけでw

というか、アメリカはそもそも日本と戦争する気なんてなかったし。真珠湾を見れば、日本から手を出したなんてことは明らかですから。
そんで勝手に迷惑かけて戦後はさんざん面倒見てもらって、それで原爆は「戦争犯罪」?ハァ?あんたらどんだけ頭悪いんですかwwwみたいな。
確かに核兵器の使用に関して諫めるということは同盟国としては当然の義務ですが、賠償を請求するなんてのは正気の沙汰ではない。
第一日本で使われてなきゃ他国で使われていただけであって、身をもってその「非人道性」を立証して、その後は「非核」でそれなりに食っていける立場にもなったんだから、経過を見ないでそれ単体だけを取り出して非難すべきじゃないよね。

アメリカはその戦略的目的に照らし合わせて、早期にあの戦争を終わらせる必要があると判断した。国家及び国際政治に於ける選択というのは、誤解を避けずに言えば目の前に犠牲者が何人出るかというレベルを超越した問題なんだから、その観点から言えばまさに「しょうがない」に尽きる。
歴史にifはないけれども、もし日本が米ソで分割占領されていれば、それこそ「日本国内」で「拉致」事件なんてのも起きていたかもしれないし、南日本(アメリカによる支配)は常に北(ソ連による支配)の脅威に晒され続けていたことは確実で、「平和」を維持するためには日本人自身が多大な代償を払い続ける必要が生じたであろうということも自明。徴兵制も残っていた可能性は高い(韓国では残っていますよ)。冷戦構造も実際に起こったものとは全く違ったものになっていただろうし、第一朝鮮戦争って知ってます?w日本人同士が殺しあう展開になっていた可能性だってあるんですよ?w
……ということを考えていくと、結果としてアメリカ一国による占領は、現時点までで見れば、総合的には明らかに日本にとっては極めて良かった、運のいいことで、そのための方法としての原爆投下について、日本は、技術的にその方法が最良だったのかということ以外には、ぶっちゃけ物を言う立場になんてない。

まぁこの発言自体に関して、時期とか方法とか言葉遣いとか、そういう技術的な面が正しかったかどうかって話はありますが、言っていること自体は極めて当然。
「歴史を直視する」のは何も対特亜関係だけじゃなく、対米関係についても勿論言えるはずで、最近は特にうやむやになっていますが、むしろこっちの方がウェイトとしては大きくなるはず。だって太平洋戦争は日本とアメリカの戦争だもん。なのに未だに日支戦争〜大東亜戦争に至った本当の原因については誰も知らない。そんなだから他国になめられる。同盟国のはずの米国にもそっぽを向かれる。日本人は歴史を直視し、早くこの幼稚な反米主義から抜け出すべき。

ただ原爆の被害者の方々に対しては、あなたがたが被害を背負ってくれたお陰で今の日本があるのだから、そういう意味では感謝していかなきゃいけない。けれども、それを政治的に利用しようという動きに対しては、良識ある人間として反対し続けなければならない。
これは沖縄なんかの米軍基地の問題についても言えることで、あなたがたが騒音やらなんやらの代償を背負ってくれているお陰で日本は安全なのだから、この点については感謝しなければいけない。が、同様にこれを政治的に利用しようという動きに対しては、警戒し、反対しなければならない。
こういった問題を政治的に利用しようという勢力については問題外として、本当に傷ついたり苦しんでいる人は、むしろその境遇を日本人として誇りに思ってほしい。我々のお陰で日本は今これだけ発展して、また安全なんだと。
国が主に金銭的な面で物理的な補償をしていくのは勿論であるけれども、同時に精神的な面についても、彼らの「偉業」に対して公式に敬意を払っていくべきだと思う。アメリカにしたって戦死した兵士に対しては最大限の敬意を払うということをしているわけで。
んでそういう枠組みで、例えば基地移転に関しても「どうか(政府のためではなく)日本国民のためにご協力をお願いします」ということをしていく必要があるのでは。

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日本の目指す「方向」とは?

参院選に関連してこんな記事が出ていました。
'07参議院選挙 有識者の評価 / 「安全保障」編 倉田秀也氏(杏林大学総合政策学部教授)
'07参議院選挙 有識者の評価 / 「外交」編 栗山 尚一氏(元駐米大使)

二つとも今回の選挙に当たって各党が出してきたmanifestを評価するというところから話を展開しているのですが、両者に共通していることは、憲法改正にしても集団的自衛権行使の容認にしても、これらによって日本は「何がしたい」のかを明確に示すべきだということです。そうしないと他国から疑われてしまうと。
そこで本entryでは日本が目指すべき「方向」について少し考察してみたいと思います。

まず結論から言うと、「国際秩序を作る」なんてことは考えない方がいいし、第一無理だということです。
例えば今、世界に「自由と民主主義を広げる」と言う人がいますが、何故「自由」や「民主主義」がいいのかと言われると答えられる人は少ないと思います。というのも、これらは元々欧米やアメリカから輸入されたものであり、日本は主体的にこれを追求したことはないからです。
アメリカやイギリスには「法の支配」という大原則があり、これに基づいて国家の方向性が定まっています。が、日本の政治にはそういった理論的背景がない。
だから、「自由」とか「民主主義」とかいう方法論だけを追求しても、それ以外の方向性を持つ国を説得し、姿勢を改めさせることはできません。だから例えば「東アジア共同体」を作るなんてことは、技術的にそもそも無理な話ですが、それ以前のレベルで不可能だということです。
これは究極的には価値観の問題であり、異なる二者間で根源的な齟齬を解決することはできません。

すると日本は孤立するしかなくなってしまいますが、逆に考えてみます。国力の有無の違いがあって、これが国際社会での立場に決定的な影響を持つことは事実なのですが、これを無視して数だけで見れば、そういった「秩序」を作れるだけの力がある国はむしろ少数派です。となればそこまでペシミスティックにならなくてもいいのではないか、つまり、現在は言葉にはして(できて)いない、日本が持っているある種の「価値観」に共鳴する国もあるのではないのかと。

ここで言えることとしては、まず何にしても日本が国家として持つべき、または既に持っている「大原則」をきちんと言葉にする必要があるということ。これは一朝一夕ででっち上げられる性質のものではなく、長年の歴史が裏付けする性質のものであって、利己主義的ではなく、かつ大多数の日本人がすでに共有しているはずのものです。これをまず言葉にして掲げ、アングロサクソン流のものではない、日本独自の原則を提示することが必要なのではないかと。

ただここには困難があります。それは、この原則は、その原則自身に基づいた何らかの手段によって、国民を統治することなどに具現化できる性質をもつものである必要がある、ということです。つまり、「なんとなく」そこにあるだけではだめで、これを背景にして各種のルールが自ずと導出できなければならないと。
困難な作業ではありますが、21世紀以降の多極化する世界で生きていくためには絶対に必要なプロセスです。

さて、それでは日本における「原則」とは一体何なのかと考えると、私はそれは「調和」ではないかと思います。
日本人は人付き合いを非常に重視しており、個人間の争いでもなるべく事を穏便に済ませようとします。絶えず微笑を浮かべ、仲が悪くならないように、何とかして集団から疎外されないようにすることに心血を注ぐ。行政にしても関係各部署間の利害を調整し、スムーズに事が運ぶように取り計らう。「調和」を重視することに反対の日本人は殆どいないでしょう。

ではこれをどのようにして政治に反映させていくか、「調和」によって「調和」を実現するためにはどうすればいいかということについてですが、私は現状の制度を全否定する必要はないと思います。上手くいっていないところもありますが、日本における民主主義は一応成立していますから。

しかし変えた方がいいと思うところもあります。
日本人は自分の身の回りのことについては極めて理性的に振舞いますが、国家とかいうレベルになると全く無責任になります。だから「とりあえず謝っておけばいい」なんてことになるわけですが、それでは良くないので、国家とはどういうものなのかという教育をしていくべきです。
ですが、それでもやはりこの傾向は変わらないでしょうから、今の県でも道州制を導入してその上ででもいいですが、社会保障とか必ずしも国が直接やる必要のない事業で、かつ民間の利益追求がなじまないような分野はそっちに委譲させる。国には安全保障や外交、県間・道州間での収入差調整など、国でなければ絶対に出来ないような物事のみを取り扱ってもらう。
これは歳出、不要出費の削減にも有効ですし、内政上の問題で政権が傾いて国家の姿勢が不安定になるといった事態を避けることができます。また、行政府が小さくなることで身軽になって積極的な政策がやりやすくなったり、風通しも良くなります。
デメリットとしては地方の独立傾向が強まってしまうことが挙げられます。特に日本では特定の勢力の工作活動が酷いので、地方が乗っ取られてしまうという事態が懸念されます。なので地方の権限は必要最小限に制限し、予算の重要なところを握っておくなどが必要でしょう。

「調和」の話に戻りますが、ではこれが通用しない相手と相対した時はどうするか。具体的には中国や韓国などの儒教の国が挙げられますが、これらに対して甘い対応をすると過去の二の舞になる。そこで、当然のことですが、外交では「国益の追求」という観点から物事を判断していくべきでしょう。
具体的には、取ろうとする外交政策を

  1. 日本に富をもたらすか。
  2. 日本の安全保障上、有効であるか。
  3. 国際法に合致しているか。
  4. 国際社会で日本のプレゼンスを高めることができるか。
  5. の4点に照らし合わせて判断することです。いくら「調和」を言っても通用しない相手には通用しないし、無理やり「改宗」させるだけの力もないので、日本の国益に合致すればよいと割り切ってしまいます。そうすれば後世に余計な負の遺産を残さないで済みます。

では対米関係はどうなのか。アメリカと日本の「価値」は、方向性が違っていますが、アメリカとの同盟を強化すれば(1)日本に富をもたらし、(2)中国やロシア、北朝鮮の脅威に対抗する上で、安全保障上極めて有効であり、(3)国際法的には何の問題もなく、(4)アメリカを味方に取り込めば日本の国際的立場も向上します。よって日米同盟は強化すべしということになります。但し、勿論、日米同盟があるから日本はアメリカの参加する戦争になんでも参加しなければならないということではなくて、アメリカとの「付き合い」と先の4点を検討し、個別に判断していくべきです。

それでは逆に「中国と同盟を結ぶ」ということについて、4点から考察してみます。
まず(1)ですが、中国と良好な関係が築ければ日本には経済的利益はあることはあります。が、知的財産権の侵害、環境問題、現地の人間を雇用する上での問題、更には中国共産党の一党支配における制度の不透明さを踏まえれば、長期の利益が望めるかどうかというと怪しいです。
(2)について、中国は現在、アメリカに対抗する覇権国家を建設しようと躍起になっています。周知のように、中国は日本を狙う核ミサイルを大量に配備しており、とても日本の安全保障にプラスになるとは思えません。同盟を結ぼうものなら中国の覇権主義的政策に組み入れられてアメリカと戦わされる羽目になるのは一目瞭然です。
(3)ですが、中国は国際法を無視する国で、そんな国と同盟を結ぼうものなら日本もその一員とみなされてしまうでしょう。
最後の(4)について、ダルフール問題にも見られるように、中国には人権という概念がありません。一方欧米諸国は人権を非常に重視しており、日本が中国の傘に入れば当然同族とみなされ、対立することになってしまいます。また、現在までの同盟国である米国との関係も今までにないほど悪化するでしょう。
…という流れで「中国と同盟を結ぶ」のは国益に反することが明らかになるわけです。

まとめますと、結局「憲法改正」や「集団的自衛権の行使の容認」はあくまで手段でしかなく、それらによって日本が国家として何を目指していくかということが本来の問題であり、日本はまずその点を明らかにしていくべきです。そこで日本が守っていくべき価値は「調和」であり、この価値を共有できる国とは同盟し、そうでない国と相対するときは、我が国の国益に合致するかどうかを4つの視点を軸にして判断することが必要……ということになります。

ただこれを達成するには十分な時間が必要です。けれども日本には時間がない。だから、こういった議論は本来は必要だけれども、とにかく差し迫った危機に対抗するために、今しなければならないことをやっていくしかないのではないでしょうか。
これから世界は不安定な時代に入っていきます。このままだともう一度世界大戦ということになるかもしれません。「命あっての物種」ですから、議論が多少疎かになろうとも、まずは身を守ることに全力を注ぐしかないと思います。

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聖地巡礼「問題」

ソースはやはり「iza! - 『「らき☆すた」聖地の神社にアニヲタ絵馬ずらり』」を張っておくべきか。

いきなりですが結論。
常識的な行動をするならばよい」

今回はアニメが発端になってこういう「騒がれ方」をしてるわけだが、じゃあこれが例えばドラマのロケ地だったりしたら、「追っかけ」をするような人が沢山来ただけのこと。
外から来た人が地元住民に迷惑をかけるなんて構図は、別に何の「元ネタ」にもなっていないような普通の観光地に於いても普遍的にあり得ることなんだから、今回の件だけを取り上げて叩くのは筋違い。
つか騒ぎの発端は「痛いニュース」でしょ……。あんなblogの言うことを真に受ける方が(ry

ただし、今回の場合は「NewType」と「コンプティーク」が煽ったことが騒ぎを大きくしたという側面があるので、雑誌社の責任も問う必要があるかと。あ、角川ですねwwwww

更に言うなら、その「オタクに対するイメージ」だって皆さんよくご存じのような経緯で一部「メディア」によって広められたものなんだから、アニヲタが増えて性犯罪云々と「不安がる」住民も、「聖地巡礼」するアニヲタも、結局、「メディア」の掌の上で踊らされてただけに過ぎないという(笑)

今回の騒ぎの中で主体的かつ建設的な行動をしてるのは、冒頭の記事でも

神社前で喫茶店「大酉茶屋わしのみや」を営む坂田圧巳さんは「特に問題はなく、利用者が増えて有難いこと。町でもグッズやキャラクターを出していければ」と期待、地元商工会でもブームを生かす方策が検討されているという。

と紹介されているような「ブームを利用する」ことを考えてる人々、それに「らき☆すた」が好きで「聖地」に行きたくなったアニヲタ。それ以外は全部雑音。

そのアニヲタに苦言を呈すとすれば、まず絵馬の願掛けが頭悪い。「俺の嫁」とか意味不明。普通のお願い+絵を描くくらいにしとけと。
あと腐りやすいものを供えるのはやめた方がいい……とか、まぁ常識的に考えれば分かることばかりですが、2次元と現実の区別はついても2chと現実の区別がついてない奴が多すぎる。

まぁつまり

…今回はなかなか見かけないアニヲタの急激な大量出没に地元が戸惑いを隠せないのが現状だ。

当の鷲宮神社はアニメとは関係なく、さらに大きな混乱もないため、騒動はネット上でのことと静観の構えをみせている。

ということでしょう。本質は。
それを無闇に煽る……某ニュースですが、そういう2ch体質が一番問題なんじゃないかと思いますがね。だってそれってイメージだけで物事を語る大谷とかゲ○ダイとか日ス○なんかとまるで変わんないし。

賢明な皆さんは、雰囲気に流されず、自分の頭で考えて結論を出しましょう。

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