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鉢呂発言

野田内閣が発足して一月も経ちませんが、鉢呂経済産業大臣が辞任しました。

鉢呂経産相が辞任 「死の町」「放射能」発言で引責

2011.9.10 21:26 (1/2ページ)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110910/plc11091021270018-n1.htm

 鉢呂吉雄経済産業相は10日夜、東京電力福島第1原発事故の現場周辺を「死の町」と表現し、「放射能をうつしてやる」などと記者に発言した問題で、野田佳彦首相に対し、辞表を提出した。首相は辞表を受理した。

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直接の原因は、上記の記事にもあるように、

  • 9/9の記者会見で「残念ながら(視察した福島県の東京電力福島第1原発の)周辺市町村の市街地は人っ子一人いない『死の町』だった」と語ったこと。
  • 同日の会見で、ある記者に対して更に「放射能をうつしてやる」などと(恐らく冗談めかして)発言したこと。

の二点です。

問題の記者会見はYoutubeにも上がっています http://www.youtube.com/watch?v=w-m-AMisBvg のでご覧ください。

この件について、佐藤優氏は以下のように語っています。

【佐藤優の眼光紙背】鉢呂経産相の『放射能をつけちゃうぞ』発言を野田佳彦首相が放置してはならない

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ここには2つの問題がある。

 第1は、マスメディアは公器であるという認識が鉢呂氏に決定的に欠けていることだ。

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マスコミは、本質において権力監視の機能を持っている。特に閣僚になると、記者との間で適用されるゲームのルールが変化する。それまでは、事実上、オフレコと見なされていた冗談や酩酊したときの発言であっても、ニュース性があれば報道される。こういうメディアの本質について無自覚な人に危機管理はできない。

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第2の点もありますが省略します。

これはまさにその通りだと思います。一部の人は、

福島原発事故のせいでゴーストタウンになってしまったのだから、それをゴーストタウンと言って何が悪いのか。

http://news.livedoor.com/article/detail/5850197/

などと擁護をしているようですが、これは見当違いだということはすぐにわかると思います。というのも、経産大臣というのは経済産業行政を司るトップであり、例えそれが事実であって個人的な感想として思ったとしても、それを公の場で公式の発言として言って良いのか悪いのかの判断はするべきだからです。

自民党政権時代から、閣僚の発言の言葉尻を捕えて責任を追及する、ということはしばしば行われてきました。私の特に記憶に残っているのは、森総理大臣の「神の国」発言や柳澤厚生労働大臣の「産む機械」発言なんかですが、他にもやれ漢字が読めないだの何だのと、政策の本質には直接には関係ないところで随分と騒動が起きました。そういうことを散々経験し、また当時は野党として追及したのですから、不用意な発言をすれば同様に問題視されるというのは当然わかっていたはずで、脇が甘いとしか言いようがありません。要は危機管理ができていなかったということで、そこは疑いようもありません。

ここまでは前置きなのですが、この騒動について私が思ったことを書きます。

「死の町」発言も「放射能をうつしてやる」発言も同様に脇が甘いところから問題が出てきたのですが、特に後者について引っかかる点があるわけです。佐藤優氏は先ほどの記事内において、後者の発言は、鉢呂議員が大臣に就任する前から懇意にしていた記者との間でのやりとりにおいて出てきたもので、当然オフレコだと思っていたところを、記者のうち誰かが「漏らした」というものではないか、としています。そのような、仕事中ではあるけれども、記者会見なんかよりリラックスした場で、ぽろっと言ってしまったというのが真相でしょう。

ここの「ぽろっと」言ってしまったというのが問題で、そういうものは普段からそう考えていないと出てくるはずがないわけです。前者の「死の町」発言にしても同じです。何らかの災害Xで明日自分の町に人が住めなくなり、長期間(数年〜数十年?)離れざるを得ない、という状況になったことを考えてみてください。廃墟マニアの人はわかると思いますが、町や構造物は、人間が住まなくなったり手を入れなくなると急速に風化します。そうやって自らの町が朽ちていくのを、ただ見ているしかないわけです。こういう状況で、国のトップにそんなことを(わざわざ)言ってほしいという人はいないでしょう。こういう想像ができなかったのが根本的な原因です。

産経の阿比留記者も、blogにて

鉢呂経産相発言と福島からの手紙と政治家の言葉

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2436750/

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先日、福島市在住の読者から私宛てに届いた手紙を思い浮かべました。

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そして、東京の電車内で次のような会話を耳にし、怒ることもできないほど打ちのめされたというのです。私もショックを受けました。

「福島を東京のごみ置き場にしてしまえばいいのにね」「(そうしたら)年金も削られないかもね」

……軽口、冗談のたぐいなのでしょうが、やはり口にしていいことと悪いことがありますね。自戒も込めて言えば、想像力の欠如は罪だと思います。

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と指摘されています。これに私も同感で、どうも「想像力」が欠如した人、あるいは、他人の立場になって考えてみる余裕がなくなっている人が増えているのではないかと思います。国政も景気も自分の生活も、うまく行っている時には見えなかった問題が、大規模な天災や不況といった状況の中で、少しずつ見え始めている。その一端だとではないでしょうか。

この問題以前にも、京都の送り火問題や、福岡県で福島の農産物を売ろうとしたグループに対してクレームが来た件がありました。送り火で当初燃やすはずだった薪からは放射性物質は検出されませんでした(後日改めて取り寄せたものからは検出)。また、わざわざ九州で売るくらいだから売り物の検査はするでしょう。しかも売る予定だったものは昨年収穫されたものだと言います。

そもそも微量・長期間の被曝による人体への影響の有無は、専門家の間でも意見が割れているところです。意見が割れるってことは統計的に明らかな事象は観測されていないわけです。これが、政府の言う規制値が「あいまいな」ものになる根本原因です。

広島や長崎は今「死の町」なのか?戦後の大気中核実験による放射性降下物の影響はどうだったのか。胸部X線撮影は?CTスキャンは?航空機搭乗による被曝は?ラジウム温泉に浸かった人は白血病で即死した?そもそもあなたが今吸っている空気にも放射性ラドンが含まれているけれど?
冷静に考えれば、微量の被曝は健康に実質的に何の影響も与えないのはわかるわけで、科学的根拠のない、ただ漠然とした「不安」を盾に、甚大な被害に遭われた方々を差別するような言動がなぜできるのか、不思議でならないわけです。

これにはもちろん、声の大きい一部の集団(反原発といった運動を職業とする人)の意向があるのですが、どうもそれだけではないらしい、というのが私が懸念しているところです。つまり、政府や専門家の言う「そんなに心配しなくていいよ」ということは信じないが、活動家や武田某といった人が言う「東北は汚染されてもうだめだ」みたいなことは信じるという人がいるのは問題ではないかということです。

これには、まずは人間の心理的な作用が原因としてあるのだと思います。経済産業研究所の関沢氏が、不安仮説という仮説を提案していました。

コラム:第278回

人間の心と感情は経済学の最後のフロンティアになるか

http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0278.html

...

以下の仮説(不安仮説)は、不安によって人間の行動が過剰にリスク回避的で不合理なものになるというものである。

...

ただ、心理に本質的にこのような作用があるのだとしても、それを理性で制御するのが人間です。もちろんきちんと制御できている人も大勢いる一方で、「感覚」に流されている人も大勢います。今の時代、ネットでちょっと検索すれば、専門家による放射性物質の危険性についての解説はいくらでも出てきますから、よくわからないなら自分で調べてみればいい話です。なのにそれをしない。全員が全員は自分では調べない。調べても理解することはできないというのは、頭ではわかりますが、現実はそんなものなのでしょう。

このような非理性的な「空気」に流されて何か重大な判断ミスをし、それが将来に禍根を残す結果にならないか。放射能なんかよりそっちの方が心配です。放射性物質を過剰に怖がるあまり、ヒステリーになって気がおかしくなってしまっては元も子もないわけです。これからの時代は科学の素養がないと生き残れないのかもしれませんね。

ここで冒頭の話に戻りますが、小学生のような悪ふざけをするくらいだから、鉢呂大臣自身も放射性物質の危険性について良くわかっていなかったのではないかと思うのです。仮定の話ですが、ある特定の集団が「反原発」「反核」運動を遂行するために被曝の人体に対する影響を誇張して宣伝した結果、いつの間にか自分たちも本気でそのように考えるようになったのではないか。そのような疑念が、想像力や理性といった問題の根の深さを考えるきっかけになりました。

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