"ToHeart2" Side Story for Y.Tonami part.2





〈んっーー、ゆ、由真、ちょ、く、くるぴぃ…〉
『……(ぼー)』
〈ぁ、足、と、届かなっ、く、くはぁ…〉
『……』
〈にゅぁ〜ん……〉
『ん?ああぁぁあ、ごめんっ、愛佳っ!』

どさっ。

二クラス合同の体育の時間。柔軟体操の相方、長瀬由真の不注意で呼吸器を圧迫され、 その知己である小牧愛佳は目を回していた。
本日のメニューは前回に引き続きマラソン。慌てて組んだ腕を放した由真によって地面に投げ出され、 本題が始まる前から息が上がってしまった。

〈あいてて……も〜、由真、しっかりしてよ〜〜〉
『ご、ごめん』
〈これで二度目でしょ?由真ったら最近変……〉

そう言いかけて、由真が見ていたと思われる方向に目をやる。そんな愛佳の目に、ある人物が入ってきた。

〈ん〜。あ〜〜。そういうことかぁ〜〜〉
『?な、何?』
〈ゆーまー、だめでしょ?いくら河野君が気になるからって〉

そう言ってにんまりした、なんだかやけに嬉しそうな表情を浮かべる。

『ち、違うっ。そんなのじゃないって』
〈でも由真、河野君の方見てたじゃない〉
『え、そ、それは…』
〈由真ったら河野君と一緒にいるようになってから急に明るくなったもんね〉
『えぁ、だから、それとこれとは関係が…』
〈うんうん。いいことだよ。そうね。もしかして二人はもう付き合っちゃってるとか?〉
『えぅぁ、そ、それは、その……』
〈大丈夫。言わなくても判ってるから〉
『〜〜〜〜っ!!…』
〈こないだ隣のクラスの委員長さんと話してたんだけど、由真、最近授業とかも やけに積極的になってきたって〉
『あいつか……愛佳にこんなこと吹き込んだのは……』
〈や、もうみんな知ってるわよ?〉
『っ!……』

クラスメイトに顔を向けると、みんな揃って愛佳のようなにやにやした視線を送ってくる。
(み、みんな知ってるって…)

〈そういえばこないだ、河野君がすごく切羽詰った顔で「十波」って人のこと 訊いてきたんだけど、何か心当たりはない?〉
〈由真に関係してそうな感じだったんだけど〉
『たかあき……アイツは全く…』
〈学校の名簿で捜しても見当たらなかったし、一体何なんだろう〉
『ま、愛佳、えーっと、実はそれはもう解決したから』
〈そうなの?〉
『うん。だからもう気にしなくていいから』
〈ふーん〉

今ひとつ納得がいかないと言った表情を浮かべる。

『それよりほら、もう始まっちゃうよ、マラソン。行こ』

そう言って走り出す。

〈あ、ゆ、由真、待ってよ〜〜〉





ピンポーン。

五月末の日曜日。
両端が視界に入らないほどの広い敷地への入り口には、いかにも昔からここにあったという感じの重厚な門。
その柱についている呼び鈴を鳴らす。
どこの家にもあるような電子音が、なんだか少し場違いのような。

(エスコートねぇ…)

(〔はい…〕)

その周りから浮いたインターホンから、こちらは随分年取った感じの、しかしがっしりした響くような声が伝わってくる。

「あ、あの、河野という者ですが…」
(〔河野……?〕)

あ、何か今強烈なデジャヴが……。
いや、この場合は既「視」感じゃないな。あえて言うなら既聴感?

「は、はい。あの、由真さんの友人で。それで、今日ちょっと遊ぶ約束をしてて…」
(〔お主っ!わしの由真を一体どこに連れて行くつもりじゃぁああ!!〕)

通りに向かいの家にまで聞こえるんじゃないかというほどの大音量の怒鳴り声が響く。

(『ん?おじいちゃん、お客さん?』)
(〔おお、由真。どうした、よそ行きなんて着て〕)
(『昨日言ったでしょ。友達と遊びに行くって』)
(〔友達……。そうじゃったぁああ!!ゆ、由真、まさかその友達とは、河野貴明ではあるまいな?〕)
(『!?何でおじいちゃんがそのことを……って、あぁあああああーーーー!!』)

……随分と賑やかだな。

(『た、たかあき、って、えええ、ちょ、ちょっとそこで待ってなさいよ!!』)
(〔どたどたどた…〕)

どこかに去ってゆく足音。

(〔ばたばたばた…〕)

今度はこちらに向かってくる足音。

(『おじいちゃんはもういいから!』)
(〔ぬお、ゆ、由真、〕)

(がちゃん)
「………賑やかでいいねぇ。」

ばたんっ!
どたどたどたっ!

玄関の戸が勢いよく開くと、石畳から砂煙を上げそうな勢いで走ってくる。

『はぁ、はぁ、はぁ、……っ!!』
「……よぉ」
『くっ!「よぉ」じゃないでしょーーーこのたかあきがぁあああ!!』
「うわっ!、っと、な、何でそんなに怒ってるんだよ?」
『あ、当たり前でしょ!!ふつー家にまで来る??』
「ちぇっ、折角迎えに来てやったのに……」
『はぁ……全くこれだからたかあきは』
「な、何だよ?折角エスコートしようと思って……」
『ん?』
「いや、だから、例の手紙の……、あ。」
『っっっっ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!』

出しちゃまずい話題だったかな?

『あぁあぁあぁぁ〜〜〜〜〜も〜〜〜、デリカシーの欠片もないんだからぁ!!』
「や、悪い、悪かったって」
『……はぁ、、、、、ふぅ、もういいわ。怒るのも疲れちゃった』
「(ほっ)」
『それで?今日はどこに案内してくれるの?』
「ん?ああ、ほれ」

財布から映画のチケットを取り出し、見せる。

『あ、それ』
「ああ、由真が行きたがってたやつ。まだやってるみたいだし、行こうぜ」
『おっけ。となると映画館ね。こっからだとちょっと距離あるし…』

チリンチリン!
ベルを鳴らし、自転車の後ろを指差す。

「乗れよ」
『いいよ、私もMTBあるし』
「いーや、乗れ。乗せられてばかりじゃ気が済まん」
『全く、変なところにこだわるのね、たかあきは。』
『しょーがない、乗ってあげる』
「おう。しっかりつかまってろよ〜」
『あ、安全運転だからね!?事故ったりしたら承知しないわよ!』
「わーかってるって。それじゃ、れっつごー」
『はぁ、分かってんのかねぇ、こいつは』
「んぉ?動かん??これはやっぱり後ろが重、……ひっ!」
『(ギロリ)』
「さーてさっさと行かないと遅れるぞ〜〜」

自転車を漕ぎ出す。景色が流れ出す。





さて、長瀬家から駅まで行くには長い坂道を下らないといけない。
近年舗装の改修工事が行われたバイパスは、路面の状態がすこぶる良く、タイヤが吸い付くような心地よさが襲う。

『風が気持ちいいねー』
「そうだなー、これは歩きじゃ味わえない感覚だよなー」

快調に飛ばす俺たちの道を、初夏の爽やかな風が併走する。

『ちょっと陽射しが強いけどねー』
「これから暑くなると思うと、ちょっと嫌だけどなー」
『後どのくらいかなー』
「この坂を下ればすぐだなー」
『お、たかあき、見て見て。私たち、車を追い越しちゃってるよー』
「おお、なんとすばらしき快速。道路○団万歳」





『……ん?車??』
「お、ありゃBMWだな?ちっくしょー高い車に乗りやがってー。抜かしてやるー」
『ちょ、ちょっとたかあき、速すぎ、速すぎ』
「ん?少し飛ばしすぎたかな」
『かな、じゃなくて、速すぎだってば!』
「ふ、そんなこともあろうかと、」

ブレーキ・ハンドルを握る。

「ブレーキ、これさえあればどんなに速くたって止まれ」

ぶち

『……「ぶち」?』
「……」
『っじゃないわよ!壊れちゃった、ブレーキ壊れちゃった!!』
「だ、大丈夫。ブレーキってのはどの自転車にも二つついてて」

もう片方のブレーキを握る。

「こう、握れば」

ぶち

「……」
『……』
「……壊れちゃった」
『はぁ!?ど、こ、壊れちゃったて、どうすんのよ?』
「こりゃーまずいな」
『まずいなんてもんじゃないって、ほら、もうすぐ坂も終わっちゃうよ?』
「……うーむ」
『考えてる場合じゃないって!!ほら、と、止めないと!!』
「よっし。由真、しっかりつかまってろよ!」
『な、何をする気?』
「まぁ見てなって、ほら、つかまれ!!」
『わ、わあぁぁあぁぁ……』

ガシャン!
坂を下りきった先のカーブの歩道に勢いよく乗り上げ、

『ひ、と、飛んでる!??』
「くっ!」

盛大に宙に舞い上がった自転車は、何とかバランスを保ちながら「飛行」し、

『あ、ぶっ、ぶつかる〜〜!!』
「とりゃ!」

体勢を整え、
ガシャン、キキキィ……

『きゃぁぁ!』
「うおぉぉぉ……」

奥の空き地に、進行方向に対して真横の体制で着地し、その速度を打ち消した。

『……く、は、はぁ、はぁ……』
「ほっ……、どうやら上手く行ったようだな」
『う、上手くって、ちょっ……』
「まさに危機一髪だな。って、お、おい、由真?」
「だ、大丈夫か?」
『……〜〜〜』
「お、おい!」
『……一歩間違えれば死ぬとこだよ?もう私、心臓止まりそうだったんだから……』
「だ、だからって真昼間からこんなとこで抱きつくなって!」
『こ、怖かったんだから!もぅ、たかあき無茶しすぎ……』
「……あー。その。ごめん、悪かった」





『……ふぅ、何とか落ち着いたかな』
「おう。ごめんな、怖い思いさせちゃって」
『んっ。いいよ。何とか怪我もしないで済んだことだし。行こ』
「ああ」

空き地を出、残りの道程を自転車を引きながら歩き出す。

「いやーそれにしてもブレーキが壊れるとはなぁ」
『整備不良もいいとこね。一体どんな扱いをしてたんだか』
「や、ちゃんと車庫の」
『車庫の?』
「……車庫に入らなくてその外側」
『……雨ざらしってわけね。それもかなり放置してたと』
「申し訳ない」
『もういいって。でも、もうこんな危険なことはしないで。寿命縮むわ』
「(それにしてはMTBで石段下ったりしてたような……?)」
『何か言った?』
「いぇ、何も」





『とうちゃ〜く』
「到着っと」
『んー、お、あそこに止めるところあるよ』
「丁度今出るところだな。よし」

駅前に到着し、自転車を止める場所を探す。

「うーむ」
『ん?どうした、たかあき?』
「いや、ブレーキが壊れたついでに鍵もぶっ壊れたらしい」
『あーあ、もうどうしようもないね』
「仕方ないからこのままにしとくか……」
「まさかこんなぼろぼろの自転車を盗るやつなんていないだろ」
『いないとも限らないけどね』
「まあな。」
「……でもさ、もし誰かがこれ盗んだとして、そいつが乗ってる途中、 坂道とかでブレーキが効かないことが分かったら……」

二人、顔を見合わせる。

『面白そうね』
「だろ!?」
『私も、今同じこと考えてた』
「おー、気が合うなぁ」
『ね、誰かが盗むまでずっと見てようか?』
「いや、そいつは随分魅力的な提案なんだが、今回のメインはこっちだ」

ポケットから財布を取り出し、チケットを見せる。

『……そうだった』
「そうだった、ってなぁ……」
『細かいこと気にするな。行こ』
「ああ。んーっと、ちょっと時間あるな。先に飯にするか」
『おっけ』

その場を立ち去って、昼飯が食える場所を探す。





『さって、ど、こ、に、し、よ、う、か、なっと』

所謂「レストラン街」の案内板を前にし、由真は昼食のメニューを選んでいる。

「ここで皆さんに惨忍なお知らせがあります」
『??』
「……安いのがいいなぁ(ぼそ」
『たかあき??』
「おぅ」
『……とうとう頭のてっぺんまでやられたのね。』
『元々変な人だったたかあきが「超」変な人に……。』
『しかも、元には、戻らない』
「ぁ?」
『高2にもなってこんなあからさまなtypoを、しかも公衆の面前で……。』
『皆様、どうかこのたかあきめを、そんな哀れむような視線で見ないでやってくださいまし』
「や、現に俺、金ないし」
『それは分かってるわよ』
「な?惨忍だろ?」
『残念なのは分かるわ。例えばこの「オムスパ」。ここいらじゃちょっと ばかし有名な店なんだけど、たかあきには手が届かない……。』
『……でもそれを人のせいにするのはよくないわよ。元はといえば、 たかあきのキャッシュフローが悪いのが原因じゃない』
「んー、そんなに無駄遣いした覚えはないんだけどなぁ」
『でも仕送り貰ってるんでしょ?』
「ああ、一応」
『それでそんなに金欠なんておかしいじゃない』
「(おかしいのか?)」
『だから、悪いのはぜーーんぶたかあき。オムスパ食べられないのもたかあきのせい』
「ちょっと待て!確かに生活費は毎月振り込まれてるさ。 でも余分な金なんて1銭もないんだぜ?」
『あんた月いくら貰ってるのよ?』
「ちょっと耳貸せ」

ぼそぼそ……。

愛すべき両親からの月当たりの仕送りの額を、長瀬由真嬢に耳打ちする。

と、その額を聞いた瞬間、彼女の顔から血の気が抜けた。

『あ、あんた、……。よくそんなんで生きていけるわね』
「いやぁ、まぁ、なんとか」
『かぁー……。ごめんたかあき。訂正するわ。……世の中って惨忍よね』
「……ああ。全くだ」
『ってことはこのチケットだって……』
「おうよ。有り金全部はたいてやtt」
『わ、え、えっと、いくら?払う、払うから』
「いーよ、元はといえば俺があの時、由真の気持ちを察してやれなかったのが原因だからな」
『そ、そうだけど、でもっ……』
「いいっていいって。金なんかより、俺はもっと大切なモノを、由真からたーくさん貰ってるからな。少しはお返ししないと」
『わぁっ、ってあんた、そんな台詞をよくも堂々と……』
「んー、まぁ事実だしな」
『わ、私だってたかあきからいっぱい……』
「ん。」

胸の前で組んだ由真の両手を、そっと握ってやる。
吹き抜ける風が、由真のショートカットを揺らす。

数秒後、そっとその手を離して、

「……よし。それじゃ、別の店を探そうか」
『そうね。わかった』

その場を離れ、歩き出す。
ふたりの手は、自然につながっていた。





「お、あそこなんてどうだ?」
『「定食・小川」?……んーー、ま、いっか。』
『びんぼー臭いほうがたかあきには似合ってるわよ』
「なんだとぉ、こいつぅ」
『ふふっ、さ、いこ』
「おうよ」

ガラガラガラ……。
懐かしい音のする引き戸を開き、その定食屋の中へと入る。

『ふぅ〜ん。外はアレだけど、中は意外ときれいね』
「そうだな、ちょっと意外だ」

<らっしゃい!>

店主の威勢のよい掛け声が響く。

と、その時、厨房のほうから、禍々しい「何か」が近づいてくる気配がする。

[ここであったが百年目〜]

『「うわっ!」』

暖簾をくぐって出てきたのは、……

『わぁっ!!って、何よぉ、あれぇ』
「お、落ち着け、由真!」
「……って、あれ?おばちゃん?」
『えっ?』

なんと、食堂のおばちゃんが出現した……。

[ああ、いつも使ってくれてありがとねぇ]
「ああ、どうも……。って、何でこんなところにいるんすか?」
[いやぁうちの主人がさ、昨日の夜突然泣きついてきたと思ったら、 バイトの子に逃げられたって言うんだよ。]
[それで臨時に代わってやってるのさ。情けないねぇこの人は]
<おいおい、それは言わない約束……>
[あんたは黙ってな!]
<ひっ!>
[まぁ折角来てくれたんだ。いつもは忙しくてそれどころじゃないけれども、今日はおもてなしさせて頂くよ]
「あ、そりゃどうも……」
[それで、その後ろに隠れてる子なんだが、]
「ああ、ゆm」
『あーあーあーあーあー!』
[……ちょっと脅かしすぎたかねぇ]
「(あの時何したんだ……このおばちゃん)」
[だーいじょぶだって、あの時のことはきちんと反省してもらったし、もう大丈夫だよ]
『ほっ……』
[さて、じゃあとりあえずそこに座っとくれ。注文が決まったら呼ぶんだよ]
「あ、はい」
『(ぶるぶる……)』
「……」





<ありあとやんしたー>
[また来てくれよ]

がらがらがら……、ぴしゃん。

「ふー、食った食った」
『はぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜』
「由真、随分怯えてたな」
『全く、生きた心地がしなかったわよ……』
「ま、これに懲りて、今度からは皿投げはしないことだな」
『もぅじゅーーーぶん凝りたって』
「そのようだな。」
「お、そろそろいい時間だ。映画館行こうぜ」
『おっけ』





のんびりと街の景色を眺めながら、それでも少しの余裕を持って映画館に到着。
ここは全席指定なので、焦らなくてもいいのが嬉しい。

お菓子と飲み物を仕入れ、席に着く。

「さーて、どんな感じかな」
『結構評判いいみたいよ。ほら、空いてる席なんて一つもないじゃない』
「うむ。人気があるのは確かみたいだな」
『あ、ほら、始まる……』

プロローグ。オルゴールの響きと共に、セピア色の景色が映し出された……。


出会い。
別れ。
涙。
過ぎ去る景色。
残された想い。

再会。
日常。
あっという間の日々。
そして、再び近づく「別れ」

……………………

クライマックス。数年来の想いを君に、溢れる夢をあなたと。
結ばれ、叶い、約束。希望、そして、幸せ。

『……すん、ぐす、ひっく……』

隣を見れば、涙を流す由真が。
スクリーンに釘付けの瞳には、映り込んだ「幸せ」が、暗がりの中で輝いていた。
その瞳から溢れ出す雫。

きれいだ。

そう思った。





『うぅ……ぐすっ。よかった、よかった……』
「そうだな。ありきたりかもしれないけど、そういうのって実は一番染みるんだよな」
『ぐすっ、うん。よかった。よかった。幸せになれて……』
「あのふたり、ずっと幸せでいて欲しいよな」
『うん。……あーーー、だ、だめだ。思い出したら、また泣けてきちゃ、った、よぉ……』
「よしよし。えっと、とりあえず休もうか」
『うん……』

近くの公園のベンチに腰掛ける。

静かだった。
葉ずれの音が心地よい。

隣には、まだ落ち着いていない由真。
そっと肩を抱く。

『ぅぅ、ぐすっ……』
「おう、よしよし……」





『ふぅ……』
「落ち着いた?」
『ん。あの、えっと、ありがと。もう大丈夫』
「そか」

抱き寄せていた肩を離し、元の姿勢に戻る。

「それにしても、評判以上によかったよなぁ」
『うん。久々に感動しちゃった』
「俺は普段、ああいうのは見ないから、もしかしたら初めてかもな」
『え?』
「いや、俺もちょっと、……ね」
『そっか』
「ああ」

さわさわと、ここでも風が吹き抜ける。
本当に気持ちいい。

「なぁ」
『ん?』
「あのさ、展望台のシーンあったじゃん」
『えっと、キスしたところだよね』
「そそ。何か、どこかで聞いたような気がするんだが……」
『展望台?えーっと、そんなのあった、ん?』
「分かるか?」
『んっと、もしかしたらかもしれないんだけど、』
「うんうん」
『こないだおじいちゃんが話してた』
「……もしかして、由真の親御さんの話?」
『そうそう。なんだかやけに似てない?』
「そう言われればそうかも」

と、パンフレットをめくり、問題のシーンのページを見る。

「確かに、これってあそこだよなぁ」
『うん。周りの建物とかは変わっちゃってるけど、それ以外の、ほら、例えばこの遠くに見える学校。位置もぴったり』
「本当だ……でもまさか、ねぇ」
『う〜ん……。お、おお??』
「どうした?」
『ほらたかあき、ここ』
「ここ?」

由真がパンフの一部を指す。

「えーっと、こぴーらいと。こりゃあれだな、映画とかのキャッチコピーを書く人d」
『……はぁ……。もう、つまんないボケはいいから。ほら、ここだってば』
「なになに?Kurusugawa Entertainment Inc。来須川……?」
『ビンゴじゃない??』
「ビンゴだな……。そうか、由真の家は来須川の執事だもんな。こういう話はそっちにも行くか……」
『っていうことみたいだね』
「そっか、由真の母さんたちもあんな風に……」
『うーん。まぁ、多少の脚色はあると思うけどね』
「そうだなぁ。でも、それにしても、本当に映画みたいだよな」
『本当。まさかこんな身近な所にこんなドラマチックな話があったなんて……』

遠くを見るように、うっとりとした表情を浮かべる。

でも、そっくりだ。
言い出せない。言い出しにくいところなんてまさにそのまんま。
It's hard to say.

「……」
『……』

ふたりしてぼーっと空を見上げる。
雲がゆっくりと流れていく。
西の空は、そろそろ茜色に染まってきた。

「……今日はもう、帰るか」
『……そだね』





回収した自転車を引きながら、家路に就く。
長い坂道をゆっくりと登る。

『……』

由真は、さっきから黙っている。
夕陽を背に、一歩一歩坂道を登っていく。
時折、横を車が過ぎていく。
その音は、どこか別の世界から聞こえてくるようで。
そして、隣を歩く由真も、なんだか別の世界にいるようで。
……少し、怖くなる。


坂を上りきるとすぐに長瀬家が見える。
あっという間だ。

「えっと、それじゃぁ……」

そう言って分かれようとした瞬間、

ぽふっ。

後ろから抱きつかれる。

がっしゃーん。

支えを失った自転車は、歩道に倒れてしまう。

もしかしたら、由真も同じ気持ちなんだろうか。
無性に寂しくなって、一旦その腕を振りほどき、今度は正面から抱き返す。

「……」
『……』

坂道を、遠くの町並みを、この世界の全てを真っ赤に染める。
俺たちもそう。
この鮮やかなヴェールに包まれた時間が、ゆったりと流れてゆく。


しばらくして、その腕を放す。
――夕陽は、更に傾いて。

顔を上げ、じっと俺を見つめる由真。
その瞳には、いろいろな、本当にいろいろな想いが詰まっている。
そんな気がした。

「その、ごめんな。いきなり、こんなこと……」
『……』
「いや、その、何て言うか……。」
「えっと、何だか急に寂しくなっちゃってさ。由真がどこか別の世界にいっちゃったような気がして。」
「それでその……。ごめん」

首をゆっくりと左右に振る。
そして、目を閉じて、爪先立ちに。

ちゅっ……。

「っ!」

映画でも言ってた。
言葉だけじゃ伝わらない気持ち。





かれこれ数分はそうしていただろうか。
ふたりの唇が離れる。

『……私も、そんな気持ち。だった。』
『そんな、怖くて怖くて、っていうんじゃないの。本当に漠然としてて……』
「ああ」
『それで、そのっ、……んむっ』

今度は俺のほうからその唇をふさぐ。
分かってる。伝わってるさ。


「なんかさ」
『ん?』
「離れたく、ないな。なんて」
『うん……』

そしてもう一度抱きしめる。
あったかくて、ふわふわで、いい匂いがして。

「なんか、分かれづらくなっちゃったな」
『そう、だね……』
「じゃさ、もう一度だけ、……したら」
『うん』

ちゅっ……。

再びキスを。





〔ふぅ……、全く、どいつもこいつも〕

夕陽の海の中で口付けを交わすふたりの様子を、長瀬家3階のカーテンの隙間から覗く人物がいた。
その部屋にも橙の輝きは差し込み、真紅の絨毯は、その光の筋に沿って紅く、紅く燃えている。

〔どうして長瀬の人間は普通の、れ、恋愛ができないんじゃろうか〕

窓際に持ってきた重厚な椅子に腰掛け、目を細めてその先を見守る。

〔これから苦労するのはわかっておろうに〕

そんな言葉を、一人呟く。

〔全く、道の真ん中で何じゃ。……見てられんわい〕
〔ダニエル……か〕

そして目を反らし、少し考える素振りをする。

〔由真…………〕

再び口に出した言葉は、深い慈愛に満ちていて、

〔大きく、なったのぉ〕





そして時間は流れて。
あれだけ鮮やかだった夕陽も、今まさに沈もうとしている。

そっと唇を離す。

「えっと。それじゃ、この辺で」
『…ん。』
「また明日も会えるしな」
『そ、そうだよね。学校あるもんね』
「ああ。じゃ」
『うん。また明日』
「おう、また明日」


『「また明日」』